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第257号 2012.01.01
機関紙257号
- 診察室から街頭へ
「震災復興・医療再生」掲げて 医師が大行動 - 50年ぶりの医師のデモ行進
- 震災復興・医療再生のために奮闘する医師たち
- 被ばく者、被災者に寄り添おう
- 年頭にあたって
- 「社会保障と税の一体改革」のトンデモナイ中身
大企業減税 米軍思いやり予算 ...には手をつけず - ねらいは 2010年代半ば 消費税10%
- 3・11を忘れない! これまでもこれからも
- 諏訪共立病院・看護師(塩竈市・坂総合病院)
- 在総ながの・所長(宮城県・山元町)
- 上田生協診療所・看護師(仙台市・泉病院)
- 長野中央病院・医師 (塩竈市・坂総合病院)
- 健和会病院・看護師 (塩竈市・坂総合病院と仙台市・泉病院)
- 諏訪共立病院・PT (塩竈市・坂総合病院)
- 老健ふるさと・介護職 (松島町・松島海岸診療所)
- 上伊那生協病院・事務次長 (塩竈市・坂総合病院)
- 松本協立病院・看護師(塩竈市・坂総合病院)
- 上伊那生協病院・OT(塩竈市・坂総合病院)
- 松本協立居宅介護支援センター・ケアマネ(松島町・松島海岸診療所)
- 民医連の介護事業に注目!
共同組織のみなさんとともにつくる - 小規模多機能ケア 米沢の家
- 長野中央介護センターつるが
- 東春近ケアセンター
- 塩尻協立病院前に高齢者施設
- 原発、なくすしかない!
- 「再稼働ありき」ですすむ工事 上伊那地域連絡会 浜岡原発
- 危険なことに変わりない 諏訪地域連絡会 柏崎刈羽原発
- 恐ろしさを知った。原発NO!しかない 長野地域連絡会 柏崎刈羽原発
診察室から街頭へ
「震災復興・医療再生」掲げて 医師が大行動
もう、黙ってはいられない!長野県から医師9人と奨学生も参加
前列左から、佐野・具志堅・古畑・由井・森・大石医師後列左から、医学生(2人)・和田・熊谷・松澤医師
銀座の通りを行くデモ行進!
迫力あふれる肥田医師の講演
「全国の医師よ、いまこそ立ち上がろう!」―12年度の医療・介護報酬改定を「医療再生に必要な診療報酬の改定」にさせて被災地を支援しようという「ドクターズ・デモンストレーション2011」(主催・実行委員会)が行われました。
宮城県での「震災復興と医療再生」シンポジウム(9月23日)、北海道・東京・大阪・福岡でのドクターズランニング(10月末~11月)、そして11月20日の「震災復興・医療再生 ドクターズウォーク 東日本大震災被災者の命と健康を守ろう!」です。
県連からは10月末のドクターズランニングに成田医師が参加。ドクターズウォークには、9人の医師を含む36人が参加しました。
50年ぶりの医師のデモ行進
前の日の雨が嘘のように晴れわたった、11月20日の日曜日。銀座の通りを、白衣を着た800人の医師・歯科医師を含む2500人のデモ行進が進みました。
このような医師のデモンストレーションは、実に50年ぶりとのことでした。長野県民医連からは、9人の医師が参加しました。たしかに、通常のデモとくらべても沿道の関心をよんでいた印象でした。「震災復興・医療再生」を掲げ、医師が自らアピールするのは画期的なことで、今後の運動の確かな一歩になったと思います。
震災復興・医療再生のために奮闘する医師たち
デモ行進に先立って行われた、日比谷野外音楽堂での集会は、植山直人全国医師ユニオン代表の「おげんきですかー! 隣の大きなビルが厚労省です。みなさんの声を響かせましょう」という呼びかけで始まりました。
震災の現場で医療に携わっている医師の声、さまざまな分野から、医療の崩壊を目の当たりにしている医師の声など多彩な内容で、全国の心ある医師たちの患者のために尽くし、がんばっている姿が感動的でした。
この運動を、他の医療従事者、患者とともに拡げていき、大きなうねりをつくらなければならないと思いました。
被ばく者、被災者に寄り添おう
集会の前、午前中には、民医連主催の事前学習会が行われました。講師は、被ばく者でもあり、長年被ばく医療に携わってきた93歳の肥田舜太郎先生です。「医師として被ばく者にどう向き合うか」と題し、若き民医連医師に向けた、年齢を感じさせない迫力ある講演でした。
肥田先生は、自らの体験と医療を紹介しながら、福島原発事故後の医療についてお話しされました。「新たな被ばく者医療が始まる。未知の病気と闘うのだから、これまでの医学は通用しない。診断法も治療法もわからない、検査値だけに頼った医学では、被ばく者の医療はできない」と。
さらに、「異常なし」と突き放すのではなく、被ばく者、被災者に寄り添うことが、何よりも重要で、それこそが民医連医師としての役割であると力強く訴えていたことに、強い感銘を受けました。
全国の医師が動き始めています。みなさん一緒にがんばりましょう。
(上伊那生協病院・副院長 大石 美行)
新年によせて
長野県民医連会長 熊谷 嘉隆
私はいま日本の政治と経済の状況に大きな危機感を持っています。経済自体が過剰生産に陥っているにもかかわらず、企業の減税を行えば経済が活性化し、国民の生活も豊かになるという、旧態依然とした誤った神話に、政治の中枢にいる人達が囚(とら)われているからです。
ものを作っても売れないところに今の日本経済の問題があります。購買力を支える国民の懐をあたたかくすること。つまり、消費税を減らし医療・介護の社会保障費を増やし、医療・介護を必要とし支える人に厚い給付を行い、年金を増やして高齢者の生活を支える。失業保険や生活保護の受給者を増やして、経済的に社会の底辺にいる方の社会的支援を強める。
財源は、高額所得者と優遇されている大企業から当たり前の税金を払っていただく。このことで富の偏在をなくし、富の蓄積を社会的に還元し平準化できるのです。この政策的転換が社会・経済に波及する影響は、計り知れないと思います。そのことで住民税や所得税が増え、国・地方の税収も増えることで財政再建も進むでしょう。
政府は前述の政策転換の内容と180度反対の政策を、1990年から計画的に進めて来ました。そこに今回は消費税増税・社会保障と税の一体改革・TPP・企業減税......社会と経済の単純な仕組みも理解しない、無知で愚かな亡国政治としか言いようがありません。 民主党が公約で掲げていた企業献金禁止を未だに実行しようとせず、自ら大手を振って献金を受けているところも、日本の政治が買収政治といわれる原因となっているのでしょうか。
医療・介護・福祉の分野で、街づくりの活動を広げ、医療・介護の質を高め、後継者を確実に養成し、働く国民が住みやすい社会をつくる運動に、今年も邁進しようではありませんか。
長野県民医連の職員の皆様、共同組織の皆様のご支援・奮闘を、今年もよろしくお願いいたします。
「社会保障と税の一体改革」のトンデモナイ中身
大企業減税 米軍思いやり予算 ...には手をつけず
政府・民主党は「社会保障と税の一体改革」を強行しようとしています。それは、医療・介護・年金・子育て・生活保護など、
国民の「生存権」をおびやかすものです。政府は年度内の具体化をねらっています。その中身とは・・・
❶ 外来1回100円の「受診時定額負担」を上乗せ
❷ 70~74歳の患者窓口負担を
1割→2割に引き上げ
❸ 病院からの患者追い出し
❹ 風邪薬、湿布薬など医療品の患者負担引き上げ
❶ 支給開始年齢の先のばし→68~70歳
❷ 年金額の削減→3〜5年程度で2.5%減額
(その後毎年0.9%削減)
❶ 生活保護を期限つきに
❷ 医療費の自己負担導入
❸ 生活保護費の引き下げ
❶ 「 総合事業」で要支援の介護保険はずし
❷ 吸痰などの医療行為を介護職に
❸ 利用料の引き上げ
→要支援者2倍など
❹ ヘルパーの生活援助時間
60分→45分に短縮
❺ ケアプラン作成の有料化
「子ども・子育て新システム」で...
❶ 保育園は親が探して施設と直接契約
→待機児童への行政責任放棄
❷ 営利企業参入のために大幅な規制緩和
→基準面積の緩和で詰め込みOK・給食なしOK・人件費節約で非正規保育士の増加(専門性が継承されず)
❸ 保育料金は預ける時間に応じて負担
太平洋周辺の国々の間で、人、物、サービス、お金の移動をほぼ完全に自由化しようという国際協定。これにより、農業への壊滅的打撃、医療分野では、国民皆保険を崩壊させる混合診療と株式会社病院が参入!
09年の選挙マニフェストはご破算。野田総理はアメリカに普天間基地の辺野古移転強行を約束
3・11を忘れない! これまでもこれからも
2011年3月11日、東日本を襲った地震・津波で多くの命が失われ、同時に起こった原発事故はさらなる悲劇を生み出しています。あの日からもうすぐ1年。県連各地から支援に向かったみなさんに、当時の思い、被災地に寄せる願いを聞きました。( )は支援場所
諏訪共立病院・看護師(塩竈市・坂総合病院)
大震災から8か月経った11月に再び塩竃市を訪れました。当時とは違い、街に活気がありました。「もうこんなにも復興が進んでいるの?」と言っていいのか、バスから見える津波の跡を見て、「まだまだここまでなのか」という感じなのか。正直、どう感じ取ればいいのかわかりませんでした。
一つ言えることは、地震や大津波から守れた命も、国の制度改悪で消すような事になっては絶対にならないということです。引き続き、心からエールを送ります。
在総ながの・所長(宮城県・山元町)
三陸沖地震発生翌日未明、故郷・栄村で震度6の地震が起きました。地割れした道路、黄色や赤い紙が張られた歪んだ家など悲惨な状況のなか医療生協のお見舞い隊を案内して組合員訪問をしました。
7月に医療生協主催で山元町への支援があり、「何か役に立ちたい」と参加しました。長野から39人、他県を合わせて150人が12か所に分かれ、ガレキ撤去や草刈りに汗を流しました。復興への道は険しく原発問題も山積みですが、「こころひとつに一歩前へ」想いは今もみんな一緒です。
上田生協診療所・看護師(仙台市・泉病院)
第一陣として3人の看護師で仙台に行きました。地震と津波のパワーがいかに凄まじいものか、いまだに鮮烈な印象で残っています。
支援に入った泉病院は一部施設が使えなくなっていましたが、患者さんのケアのために職員・組合員が協力し、まさに民医連らしい姿でした。しかし、使命感の強さの裏には被災者としての大きなストレスも見え隠れしていました。
復興には長い時間がかかるはずです。これからも私たちの記憶にとどめ、気持ちのこもった支援活動をしたいと決意しています。
長野中央病院・医師 (塩竈市・坂総合病院)
地震発生後数日して被災地へ行きました。被災地の方々が落ち着いて生活していたことが印象に残っています。
一方、予想とは異なる被災者の状況を前に、支援者たちは自分たちのすべきことを見失っていたように思います。被災者の状況およびニーズを理解することが支援において最も重要なことであり、普段、患者さんに対して医療スタッフがすべきことと変わりません。常に相手のニーズを考えること、日常診療での継続的な取り組みこそが、災害時に備えて皆がすべきことなのではないでしょうか。
健和会病院・看護師 (塩竈市・坂総合病院と仙台市・泉病院)
第一陣として坂総合病院と泉病院に行かせていただきました。看護師をめざしはじめた頃から災害看護に関心があり、推薦していただいたことを光栄に思いました。
支援に行って感じたことは、「医療者も被災者」ということです。医療を必要としている被災者だけではなく、医療を提供している被災者への支援もとても大切であると思います。月日が経つことで震災のことを忘れてしまいがちですが、月日が経つごとに震災のことを思い返し、自分に何ができるかを考えていくことが大切だと感じます。
諏訪共立病院・PT (塩竈市・坂総合病院)
昨年は3度宮城・仙台に入ることができました。ボランティアで2回と、11月の職員旅行です。盬竈(しおがま)神社へ行き犠牲者の追悼ができたのが、自分の中での救いでした。
仙台の街に元気が戻っていて、光が灯っている街にこちらも元気になりました。仲間で一緒にいられることがありがたかったです。しかし、塩釜港では観光所の中でも津波の跡が見え、南三陸町や陸前高田市の津波の傷跡は今もくっきりと残ったままです。現地に行かないとまったく伝わらない事が今ももどかしいです。
「もう1度」被災地に顔を出したい。松島は人も土地も、津波の前も、後も、綺麗だったから。
老健ふるさと・介護職 (松島町・松島海岸診療所)
支援活動を通し自分の目で見た街、住民の声。メディアでの報道は日に日に少なくなっていますが、復興にはまだまだ長い時間やお金がかかるはずです。
自動車取得税の減免や高速道路の一部無料化などの取り組みが、復興支援のひとつとして行われていますが、これだけでは不十分です。「思いやり予算」を見直すだけでも、どれだけの税金を復興支援として使うことが出来るでしょう。今こそ税金の使い方を考え直す必要があると思います。
上伊那生協病院・事務次長 (塩竈市・坂総合病院)
3月下旬、支援に向かいました。震災直後の混乱の中でも坂病院が災害拠点としてしっかり機能していることに感動しました。災害対策としてなによりも病院が機能することの大切さ、その観点から準備を十分に行うことの必要性を感じました。
わが国の歴史上はじめての故郷喪失、難民化が起きた震災ということが言われます。あらためて支えあいの地域づくりの大切さを実感し、地域での活動を強めたいと思いました。政治課題としては真に住民のための復興支援策、財源確保に取り組んでもらいたいと思います。
松本協立病院・看護師(塩竈市・坂総合病院)
疲れ切っているであろう現地スタッフの皆さんは、出入りの激しい支援スタッフ一人ひとりに笑顔で対応し、「お疲れ様です」「ありがとうございます」と常に私たちを気遣い、感謝の思いを表してくださっていました。
体調面をうかがいながら多くの方とお話をしましたが、そこでも気遣ってもらうのは逆に私たちの方でした。そこからは「人間の強さ」を感じずにはいられませんでした。
上伊那生協病院・OT(塩竈市・坂総合病院)
今振り返ると震災後のいてもたってもいられない気持ちと、それでも何か自分がすることはないかともがいて模索した数日間は、その後の自分の活動を随分変えていたのだと思います。
2011年は支援に行き、そして自分の生活も見直すことになり、人と地域のつながりを考える貴重な1年となりました。民医連からだけでなく、医療生協・日本作業療法士協会・難民を助ける会で東北各県に支援に行き、今も続けています。
今年1年はこの上伊那地域で何を準備するのか周りの人たちと一緒に考えながら、そして東北での人とのつながりを大切に生きていきたいと思います。
松本協立居宅介護支援センター・ケアマネ(松島町・松島海岸診療所)
デイケア利用者さんの搬送、ゴミの片付け、組合員の安否確認を行いました。7月に同僚の子どもさんの学校から「地震をテーマに勉強中なので、実情を知って自分達にできる事を考えたい」と依頼され、講師をつとめました。質問もたくさん出て、関心の深さを知り、貴重な経験となりました。
子ども達から、避難所で暮らす人の役に立つ物を贈り(夏にうちわ・冬にカイロ)現在も交流していると聞きました。決して忘れてはいけない出来事で、今後も微力ながらつながりを持ち続けたいと思います。
民医連の介護事業に注目!
共同組織のみなさんとともにつくる
1998年の「老健ふるさと」開所から県連の介護分野が出発しました。2000年には「介護の社会化」をうたって介護保険がスタートしました。しかし、「持続可能な制度とするために」と、さらなる改悪が計画されています。
県連では、健やかに老いる権利を守るため、第6次長計に基づき、事業を展開します。
小規模多機能型居宅介護とは
介護保険の地域密着型サービスのひとつ。日帰りで介護サービスを受けられる「デイサービス」を持ち、数日間の宿泊が可能な部屋があり、地域の在宅サービスをケアマネージメントし、ホームヘルパー等の派遣が可能な機能を持った施設。小規模ながら多彩な機能を持った施設といえる。ただし、利用している間は、他の介護サービスは利用できない。
昨年12月1日、茅野市米沢に「小規模多機能ケア米沢の家」を開所しました。
小規模多機能型居宅介護事業の原型は「宅老所」だと言われています。特定非営利活動法人福寿草も、平成18年から「宅幼老所福寿草」を運営してきました。そしてこの度、「お年寄りがいつまでも、住み慣れた地域で、住み慣れた我が家で、老後を過ごせるようきめ細かなご支援をさせていただきたい」―そんな思いで、通所を中心に、訪問・泊まりもある小規模多機能型居宅介護事業をはじめました。
「米沢の家」を立ち上げる過程で、近くの何か所かの地区で『説明会』を開かせていただきました。みなさんとても興味を示してくださり、過日の内覧会にもおいでいただき、個別に介護相談もさせていただきました。
今後は、地区のみなさんと手を取り合って、地域密着型の施設として、地域に根ざした活動をしていきたいと思っています。
(特定非営利活動法人 福寿草・山本 孝之)
「長野中央介護センターつるが」が、「住みなれた地域で安心して暮らしたい」という願いをサポートする介護の複合施設として、1月11日に竣工します。
3年前に、地元の強い要望で長野中央病院から徒歩3分の場所に土地を購入し、準備をすすめました。建設委員会には組合員が設計から参加しました。太陽光発電を取り入れ、壁面緑化を施した3階建ての施設となりました。
1階にはデイサービス(滞在型と半日型)、訪問看護、訪問介護、訪問リハビリ、ケアマネ事業所に加え、組合員が集える交流室があります。
2階のショートステイは、在宅支援に加え、自宅での介護力が乏しいなどの理由で病院からの退院が遅れている人の退院先としても期待されています。
3階は、医療と介護が身近で受けられる高齢者住宅(28部屋)です。費用は月額14万3000円(食事・共益費込み)です。
和田節子センター長は「100人を超える職員が、よい介護をしたいとアイデアを出し合い張り切っています。共同組織のみなさんからも『困ったら相談できる場所が増えてうれしい』という期待が寄せられています。長野医療生協50周年の記念すべき年に開設となりました。歴史に学び、介護分野での新しい風を吹かせたい」と語っています。
(取材・大西 英之)
東春近ケアセンターは、地域の新たな「すまい」づくりに向けて、4月開設に向け昨年11月3日に着工されました。
地域密着型サービスとなる小規模多機能型居宅介護と認知症対応型共同生活介護(高齢者グループホーム)の複合施設建設は、伊那市における「老健はびろの里」「介護センターあおば」に続く、上伊那医療生協3つ目の拠点づくり運動として注目されています。9月からの「秋の強化月間」では、東春近をはじめ伊那市全域で組合員加入・出資・増資の取り組みが一気に広がってきています。
地域で開催されている健康づくり班会やまちかど健康チェックでは、80代、90代の高齢者や認知症の方の「老老介護」や「認認介護」の現状と苦労が切々と訴えられており、「地域の中に認知症の方が埋もれているように思う」との指摘がありました。地域や組合員からは、新たに始まる介護事業所展開に大きな期待と希望の声が寄せられています。
私たちは、地域で生活している人の多様なニーズに合わせて事業所づくりを展開する中で、一人ひとりの人権が尊重され、穏やかな暮らしを大切にし、生活と健康を支援するまちづくりをすすめたいと考えています。
(開設準備室長 水野 耕介)
協立福祉会は高齢者施設(5月開設)を塩尻協立病院前に建設中です。1階は主に小規模多機能型居宅介護と入浴サービスが受けられるデイサービス。2階は介護型の有料老人ホームです。
塩尻市の第三期介護事業計画策定のなかで、市から建設要望があり、中信連絡会の長期計画に基づいて友の会役員さんとも協議してきました。
特養の待機者が多い中(あずみの里で900人)、在宅に帰りたくても帰れない人や低所得者でも入所できる施設が早急に必要です。家賃月額(1人部屋)は3万5000円、総費用は11~13万円を設定しています。病院の近くという条件を生かして、医療的な関わりが必要な方も受け入れていくことをめざします。
(取材・福田 純子)
原発、なくすしかない!
上伊那では、職員の半分以上を占める青年職員が「自治」を体験する重要な取り組みとして、青年委員会の活動を支援しています。金は出すが口はできるだけ出さない。暖かく見守りながら、将来の民医連を担う青年の育ちを感じています。
以下は11年末に上伊那、諏訪、長野の職員が、それぞれ行った浜岡原発、柏崎刈羽原発の見学ツアーの報告です。青年の目を通して、感じたことを職員みんなで共有し、原発なくせの大運動に広げていきましょう。
(県連社保委員長・野口 正泰)
上伊那地域連絡会 浜岡原発
「再稼働ありき」で進む工事
初の学習旅行に「原発」を選択
上伊那青年委員会で初の学習旅行を企画しました。どこを選んだらいいか、何をしたらいいかも分からないスタートでしたが、大震災が起きて原発問題が重視されている中、私たちも考えようと、浜岡原発へ行くことに決めました。
8月に計画を立て、事前に学習会を行うなどの準備を重ね、11月19~20日に11人で行ってきました。
危険対策の防波堤は砂の上に建設中
浜岡原発の中には入れませんでしたが、隣にある「原子力館」を見学しました。地元・御前崎市の清水澄夫市議の案内で、静岡民医連や原発反対運動をしている人たちと一緒に見学し、原発とはどのような物なのかを学びました。
屋上の展望台から原発全体が見学できるということでしたが、当日は嵐のような雨で、はっきりと見ることができませんでした。しかし、見える範囲の中だけでも広大で、敷地面積は東京ドーム約123個分もあるそうです。
見学の中で、市議から「浜岡原発は、危険対策として実際に防波堤を造っているが、肝心の基礎部分が砂丘みたいな場所だから建てないほうがいい」「市議が当選すると中電が給付金を配るが、一部市議は問題視している」という話を聞き、驚きました。
危険対策の防波堤は砂の上に建設中
見学に行ってよかったのは、地元の人の生の声を聞くことができたことです。
参加者からは、「震災が起こらずになんとなく見学に行っていたら、電力会社の原子力=安心・安全というコンセプトを信じてしまっていたと思います」「何が正しく、何が間違っているのかの知識を高め深めることが大切だと思いました」「私たちは医療で放射線を使用する立場にあるので、どういった影響があるのかを理解するための学習も必要ではないかと思いました」という感想が寄せられました。
(上伊那青年委員会委員長 小林 直樹)
諏訪地域連絡会 柏崎刈羽原発
危険なことに変わりない
11月3~4日に南信勤医協平和委員会事務局メンバー9人で、柏崎刈羽原子力発電所見学ツアーに行ってきました。
きっかけは同事務局会議で福島原発の事故問題に興味を持ったことがきっかけでした。院内学習会で原爆問題はありましたが、それとつながる原発問題を調べようということになりました。フィールドワークは平岡ダム以来だったので、諏訪から一番近い柏崎刈羽原発に焦点を当てました。
調べる中で、危険性とお金の問題がでてきました。今までは安全と謳われてきたものが崩れた現在、他の原発はどうなのか?そして、立地している市町村に交付されるお金はどれほど大きいものなのか?この2つを柱に見学を企画しました。
原発は厳重な警戒態勢で、見学は一般開放されている展示館と発電所敷地内を走る車内からの2つでした。展示館で事故後の安全対策を聞き、原発敷地内では外観だけですが、原発の大きさ、広さ、下請け企業の社員の多さを目のあたりにしました。
福島で起きたことを今から何とかしようという発想は遅いだろうと思いつつ、危険なことには変わりないと改めて思い、本質を知らないと本当に何が安全なのかわからないと思いました。
(諏訪共立病院・伊藤 和久)
長野地域連絡会 柏崎刈羽原発
恐ろしさを知った。原発NO!しかない
12月11日、長野医療生協、あおぞら薬局、労働組合の共催で、25人が参加して柏崎刈羽原発見学が行われました。行きのバスでは映画「東京原発」が上映されました。
午前中は、展示ホールとバスでの敷地内見学です。ホールでは、原発完成までのあゆみのビデオ観賞、発電の仕組みや津波対策の話を聞き、5分の1の原子炉模型の中にも入りました。敷地内は警備が厳重で、案内の東電職員が顔写真付の身分証明書を提示していました。
午後は日本共産党柏崎市議の持田繁義さんから、原発の危険性、議会と住民運動の話を聞きました。
住民運動では、残念ながら否決されましたが、大規模に取り組まれた1999年の「柏崎刈羽原発のプルサーマル導入を問う住民投票の実施を求める署名」運動が印象的でした。東電については、会社ぐるみの「隠ぺい」体質として、02年の「自主検査改ざん事件」や03年の海中断層の確認を原子力安全・保安院に報告をしなかった件などを知りました。
捨てる場所もない「核のゴミ」が増える一方の現状は深刻です。帰りのバスでは、「今までは事故があっても深く考えていなかったが、福島の事故や今日の見学会で、改めて原発の恐ろしさを認識した」「原発NO!の声をあげ、廃炉に向けみんなでがんばろう」など、怒りとともに決意表明が相次ぎました。
(長野中央病院・大西 英之)