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第250号 2011.05.25
健康で働き続けるためのナースウエーブふたたび!
第23回長野県看護集会開催 東日本大震災で"地域医療崩壊"があきらかに
「誇りとゆとりをもって専門職として働き続けたい」をテーマに、5月7日、第23回長野県看護集会(長野県医療労働組合連合会=医労連主催)が松本市勤労者福祉センターで開催されました。参加者230人(うち85人が民医連関係)は、午前の看護集会・午後の看護セミナーで学んだ後、駅前のパルコまで白衣のデモ行進をし、署名宣伝活動を行いました。
医療崩壊にストップ! ― たたかえば必ず変わる
集会は、全国のナースウエーブのトップを切っての開催でしたが、日本看護協会が、労働条件・労働環境の改善を重点政策の第一に挙げたこと、今回、県看護協会の西澤喜代子会長が初参加されて来賓あいさつに立ち、午後のセミナーにも参加するなど、大きな変化が生まれています。
看護集会での講演は、日本医労連の田中千恵子中央執行委員長が「看護師の輝かしい未来のために」と題して行いました。日本医労連の歴史・ナースウエーブや看護の日の取り組み経過を紹介しました。
また、東日本大震災の支援活動を通じ、被災地が医療統廃合による"医療崩壊地"であったことから、医療を受けられない被災者がいること、医師・看護師・介護職員の絶対的不足が国民の前に明らかになったと報告、国の責任で復興をすすめなければ、まさに地域は崩壊すると語りました。看護労働については、異常な働かされ方にストップをかけ、働き方を国際基準にしていくこと。「たたかえば変わる」と強調しました。
二交代勤務への警鐘 ― 健康で働き続けるために
午後の教育講演「長時間夜勤がもたらす健康・安全・生活への影響~夜勤交替制勤務改善への提言」は、一昨年に続き、労働科学研究所慢性疲労研究センター長の佐々木司氏が、看護の現場で増えている長時間夜勤= 16 時間の二交替の問題を3 つの視点から科学的なデータを示して報告しました。
塩尻協立病院から参加した待井詩子さんは、「講演はとても怖い内容で、安易に二交替制にはできないと思いました。また、看護師はその習性で、人員が増えてもそれ以上の仕事をしてしまうので、まず業務整理が大切、次に増員だということが納得できました。田中さんの話から、私たち看護師自ら訴え続ける必要性を強く感じました」と語りました。松本協立病院の病棟配属になった新人看護師からは、「夜勤の話を聞いて、はたして自分が生活リズムを作っていけるのか心配になりました」という感想も聞かれました。
国民の願いを実現するナースウエーブを
2010年の看護職員の離職率は前年度比0・7ポイント下がって11 .2%と少し改善したとはいえ、大量養成・大量離職のサイクルは改善していません。
医師の肩代わりをする特定看護師を養成する動きを進めるのではなく、まさに国民の願い―患者は搬送先を選べない。だからこそ、いつ何が起きても良質な医療を受けることができること―を実現するため、看護師不足や労働問題を社会問題にすることが大切です。「社会問題にする」とは、世の中の人がみんな知っていて、政治の責任が問われること。改めて社会にアピールするための、ナースウエーブを起こしていくことが重要です。
■ 長時間夜勤がもたらす健康・安全・生活への影響 ■
健康面 | 夜勤労働者はがんになるリスクが高い。 女性:乳がん。男性:前立腺がん |
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安全面 | 夜勤中は酒気帯び状態。中瓶ビール1本を飲んでいるのと同じ状態。 |
生活面 | 二交替で連続休日は増えるが、余暇活動利用割合は低下する。 |
ようこそ民医連へ 研修医のみなさんを紹介します
左から川田・村山・玉城・山岡・池田医師
今年度5人の1年目医師が、長野県民医連の卒後臨床研修プログラム(長野中央病院・松本協立病院が基幹型、健和会病院が協力型)で研修を開始しました。研修開始初期は複数人で行うことが望ましいことから、今年度は5人全員が長野中央病院で研修を開始し、今後2年間で県連内複数の病院を経験することになります。
川田 三四郎 かわた さんしろう
飯田市出身で浜松医科大学卒業、4月1日の入職式の日に24歳の誕生日を迎えたばかりの全国で一番若い医師です。大学時代はラクビーをしたり、ドラムを叩いたり、面白いことを探す毎日でした。今は日々新たなことを勉強できることが幸せです。
村山 恒峻 むらやま つねたか
千葉県出身で、信州大学を卒業しました。大学1年の頃から地域と強く結びついた民医連の医療に興味を持ち、研修先として長野中央病院を選びました。休日は遠出をするのが好きで、学生の頃から暇をみてはどこへともなく車を走らせてました。慣れないことばかりで悪戦苦闘の毎日ですが、2年間の初期研修を通してしっかり力をつけていきたいと思います。
玉城 温子 たましろ あつこ
出身は沖縄で、6年間信州大学に通いました。長野の自然のとりこになり、長野の個性的な先生方に学びたく、冬は毎年寒いですが長野で頑張りたいと思いました。多くを吸収したくさんのことを還元できる人間になります。
山岡 奈未 やまおか なみ
岡谷市出身で金沢医科大学を卒業しました。音楽が大好きです。患者さん中心の医療や医療スタッフとのコミュニケーションの大切さを実習を通して実感し就職しました。一生懸命頑張ります。
池田 汐里 いけだ しおり
生まれも育ちも石川県で、金沢大学を卒業しました。信州への憧れと先生方を始めスタッフのみなさんの医療に対する姿勢に共感し長野中央病院を研修先に決めました。趣味は楽器演奏です。アンサンブルのお誘いいただきたいです。
心ひとつに 東日本大震災支援その後
工程表が発表後も新たな事実が発覚している「原発事故」。仮設住宅の建設が始まっても、生活再建の見通しがたたない不安。今後どのような支援を続けていくのか5月14日の県連理事会でも論議になりました。4月の薬局と介護支援を報告します。
日常と被災が混在
松本協立病院・薬剤師 洞田 佳範
4月25 ~ 29日に中信のメンバーと被災地に入りました。翌日早朝に七ヶ浜町へ。仙台湾につきだした半島の町のため、津波にかきとられたような状況でした。病院に戻り、医師・看護師などと多賀城市体育館の仮設診療所へ。医療インフラが復旧してきたため初期診療でした。診療所に来た方は、雨が降るなか家の片付けに行き体調を崩されたという方が多かったです。待合の時にいろいろ話してくれました。気丈なのですが、とても疲れていると感じました。
坂病院での1日の終わりの活動報告会では、医療支援はほぼ終了で、今後は生活支援に重点をという話になりました。避難所の環境は非常に悪いのに長期化していて出口が見えない状況です。急性期は過ぎたものの、ここから先が本当に長いと感じました。梅雨や夏の暑さも心配です。
2日目からは松島に移動し、松島海岸診療所近くのつばさ薬局で調剤業務を行いました。分包機など機械類が津波で錆びてしまい、古いものを応急的に使用したため、手作業が多かったです。印象に残ったのは、働いている人も患者さんも「自分たちはまだ良かった」と口をそろえることです。多くの二度と元には戻らない被害を感じざるを得ませんでした。ちょうど地震の日から49日目を迎えていました。
日常に戻った部分と被災が続いている部分がまだらで、ここまできたということと、まだまだ先は長いことの両方を感じる時期でした。
ゆいの里から介護支援に
仙台市宮城野区にある宮城野の里は、体育館などで暮らすのが困難な高齢者を対象に、ケアハウスの一部を「福祉避難所」にしています。4月21 ~ 26日、「21老福連」の介護支援で、ゆいの里から3人の職員が参加しました。
■到着日にオリエンテーションや避難者と交流をしました。翌日からは福祉避難所で掃除、食事配膳、洗濯、レクリエーションなどを行ったり、ショートステイの介助も行いました。フリーの時間には、埋もれていたアルバムの水洗いをして、持ち主がわかるような手配もしました。新築祝いや子どもの成長記録、新婚旅行の写真もあり、人生を垣間見ることができましたが、現状は「家が流され」「子どもたちの安否もわからないだろうな」など、非常に切ない思いに駆られました。
(デイサービスかわじ・中島 正寿)
■4日間の内3日間は夜勤に入りました。夜勤ということもあり、お一人お一人と接することができたように思います。ポツリポツリと辛い体験を話されるなかに、みなさんの我慢強さや心の強さを感じました。最後の日は退所した方の自宅を訪問、あり合わせの物で段差解消のスロープを作り、涙で感謝されました。
(ハートヒル川路・井藤 幸子)
■民医連のバスで宮城県に向かう途中、次第に自衛隊や支援車と書かれた車が増えました。宮城野の里は玄関前のレンガ部分が陥没し波打っていました。早々、震度3の地震がありましたが、飯田で感じる震度3とはまったく違う感じ方でした。お米と缶詰で味ご飯、いただいた野菜で五目汁をつくり、岡田小学校の避難所へ届けました。
(ハートヒル川路・大原 美波)
ピースゼミナール第4期開校
望月医師の講演-「運動のちから」に共感
4月22日、長野県連のピースゼミナール(略称: ピーゼミ)第4期が開校、13人が受講します。第1回の講座は長野中央病院元院長の望月峻たかしげ成医師が「なぜ民医連が"平和"に取り組むのか」と題して講演しました。また4月11日に日本原水協が開催した「原発・核兵器・私たちの未来」シンポジウムDVDを紹介しました。講演要旨を紹介します。
信州大学文理学部医学進学課程在学時、教員の勤務評定に反対する運動が起こっていました。学生同士で「教育はだれの為にあるのか」とディスカッションする中で、『教育の階級制』に気付き『勤評反対』の意味がわかってきました。また、安保闘争で東京のデモに参加したら同級生がつかまってしまい、地理の不案内な東京に差し入れにもいきました。
昭和39(1964)年に卒業。インターン制度があり、インターンが終わってから医師国家試験の受験でした。多くのインターンは収入を得るためにアルバイトをしていました。私は東京の現在の立川相互病院で泊まりのバイトをしました。同級生にはそのまま民医連に入職した人もいます。
私はその後、信州大学の生理学教室に入り動物実験をしていました。でも、「臨床のお手伝いもしたい」と考え、『民診』の長野診療所を訪ねました。昭和41(1966)年から医療生協に認可される前の長野診療所にかかわるようになりました。そのままずっと定年まで長野中央病院で働きました。現在は嘱託として働いています。
定年後、長野県原水協の代表委員、非核の政府を求める会の長野県の代表世話人をしています。またIPPNW(核戦争に反対する医師の会)フォーラムがニュージーランドのオークランドで行われた際(1987年)、長野民医連の代表として参加しました。その場で中心的に運動を担ってきた人々と出会い、「こういう人達がいたから運動が進んできた」と認識できました。
みなさんは「運動のちから」と言われても信じられないでしょう。僕も信じられなかった。でも集会に参加する中で、「運動が戦争を止める力」だと確信するようになりました。
もうひとつ言いたいことは、「核兵器廃絶」は特別に絶対だということです。人類は進化の中で環境に対する防御機構を獲得してきました。でも、放射性物質というのは人間が作り出したものです。ですから人類の歴史の中では防御機構が獲得されていない。それで放射能にやられてしまう。「核兵器」と人類は絶対に相容れません。みなさんには、核兵器についても、原発についても関心を強めて、いろいろな形で運動を応援してほしいと思います。
私の医療
地域ぐるみの慢性腎臓病対策に取り組んで 健和会病院透析センター 内科医師 熊谷 悦子
私たちの生活する、南信州(広域連合)の人口は17万人、大阪府、香川県より広い1929.19km2の地域です。高齢化、過疎化が進んでいるこの地域で、慢性腎臓病に取り組む保健師の自主的な研究会があり、協力医療機関を探していました。こうして2007年10月、当院に慢性腎臓病外来が生まれました。
当院の慢性腎臓病外来の特徴の第1は、保健師の紹介を受け付けること、第2は、医師、看護師、薬剤師、栄養士、ケースワーカー、事務職などのチームで活動していること、第3は、家庭血圧と、蓄尿を治療の2大ツールとして、患者参加型の治療を行っていること、第4は2008年以来21回を迎えた腎臓病教室で、患者教育のみならず、専門職の交流の場を提供していることです。
この取り組みのなかで、2つの地域連携が生まれました。2010年に、飯田医師会病診連携推進委員会の呼びかけにこたえた地域の先生方と保健師が集まって、飯田下伊那慢性腎臓病研究会が発足しました。2011年3月には血液透析を行っている6病院のネットワークの第1回の会合が行われ、慢性腎臓病の病病連携が始まりました。
このような地域ぐるみの慢性腎臓病対策のなかで、私自身のテーマとして取り組んでいきたいことが2つあります。1つは糖尿病腎症です。地域の保健婦さんから「若い人でHbA1cが10%、11%なんて言う人が結構います。痛くもかゆくもない病気だからほっとかれちゃうんですね」という声を聞きました。「微量蛋白尿の時に介入しないと手遅れになる」「クレアチニンが上がってきてからでは遅すぎる」という糖尿病腎症の特徴を、もっと地域に広める必要があると思います。
2つ目は透析患者の栄養対策です。透析患者の予後改善のためには「蛋白・エネルギー欠乏(PEM)」 を改善することが必要です。当院では2005年から積極的栄養療法に取り組み、その成果を2008年に長野県透析研究会誌で発表(長野県透析研究会最優秀賞)、2010年第27回信州NST研究会に招聘されました。2010年末における取り組みの成果を6月の第56回日本透析医学会のセミナーで発表する予定で準備を進めています。
慢性腎臓病を取り組む院内チームの職員のがんばり、地域の栄養士、保健師の地下水脈のような連携に支えられ、小さいけれど「人財」に恵まれている南信州から、成果を全国に発信してゆきたいと思います。
第5回 信州反核平和自転車リレー6月11日土~12日日
テーマ「いまこそ、つながろう!」
今年もピーチャリ(ピース・チャリンコの略)の季節がやってきました。自転車で長野県を縦断しながら平和を考え、アピールします。今年は震災被災地での救援活動も交流します。
短い距離でも一緒に「いっちょこぎますか!」
歯のなんでも電話相談
「保険でよりよい歯科医療を」長野連絡会および保険医協会は、昨秋に好評だった入れ歯・お口のなんでも電話相談を行います。ご本人やご家族のお悩みや困り事に歯科医師が応えます。
東南西北
上伊那
いっしょに大きな花を咲かせよう!!
老健はびろの里では、新入職員一人ひとりが、入職の記念と、木と自分の成長を重ねようと植樹を行いました。桜や山茶花、ハナミズキ。「努力が実を結ぶように」と実のなる梅、無花果、プラムを植えました。山茶花は仕事に来るたび励まされるように職員玄関付近に植えました。記念プレートもつける予定です。
諏 訪
念願のPT・OT施設改修
諏訪共立病院のリハビリ施設は、これまで「PT110m2」「OT75m2」と昔の基準ギリギリでした。一昨年の回復期リハ病棟への移行で患者さんも職員も増え、施設が足りなくなりました。今回、デイケア室の拡張・移転に併せて、「PT180m2」「OT110m2」に拡充しました。ようやく患者さんは「場所取り合戦」から解放されそうです。
中 信
この思い、被災地へ!
塩尻協立病院の正面玄関に、デイケア利用者さんから震災被災者の方への応援メッセージを貼り出しました。現地に行くことはできないが、何かできることはないかとみんなで考えて作りました。少しでも明るくと、きれいな桜の花びらに見立てた飾りも付けました。一緒にがんばろうという思いが届けばと思います。
飯 伊
公開調理実演会、好評につき今年度も実施
健和会病院栄養科では,患者さんと家族、近隣の施設のみなさんに、当院オリジナル介護食・嚥下食(トロきざみとソフト食)の調理講習会を09年9月から毎月行っています。退院した後に、当院と同じような食事を簡単に作る方法や商品の説明をしています。「とてもわかりやすい」と大好評につき今年度も行います。
長 野
松島海岸診療所支援報告会
老健ふるさとでは、4月28日、東日本大震災で被災した松島海岸診療所への支援報告会が開催されました。震災直後とは支援方法は変わってきていますが、まだまだ支援は必要な状況にあると感じました。「ひとりの力は小さくても、力になれることがあれば積極的に支援活動をしたい」との思いを強く抱く報告会でした。
東 信
「おいしいお昼だね!」
4月から上田生協診療所厨房から「元気倶楽部まゆ」「悠々倶楽部かみしな」のデイサービスと「川西診療所デイケア」の利用者さんに昼食が届くようになりました。「おいしい!」と好評で、食の細かった利用者さんにもたくさん食べていただけました。おいしく食べられるように給食委員会で工夫していきます。
上伊那
病児保育の受け入れを拡大
4月18日、「病児保育室 いちごハウス」の開所式が行われました。昨年10月からの病児保育は上伊那医療生協職員が対象でしたが、箕輪町・南箕輪村の委託事業として受入対象を拡大しました。子ども用トイレなど施設も拡充し、入口には新しい看板も(写真)。伊那ケーブルテレビや長野日報など地元メディアでも紹介されました。
諏 訪
見事! 満開の桜
5月3日、原村の深叢寺(しんそうじ)で満開の桜に出合いました。NPOひなたぼっこでは、この週は日替わりでデイサービスとグループホームの利用者さんが数人ずつお花見に出かけました。富士見町の秋葉神社も見事でした。「マスクとってから写ればよかったわ」と施設内に掲示された写真も楽しみました。