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藤森さんは、1歳4か月の時に広島の爆心地から2・3㎞地点で被爆しました。原爆投下の8月6日は体調を崩しており、母に背負われて病院に向かう途中、すさまじい爆風に吹き飛ばされました。命は助かりましたが、目と鼻と口だけを出して包帯でぐるぐる巻きにされ、周囲からは「やがて死ぬ」と思われていたそうです。
藤森家は12人の大家族で、当時広島から避難していた4人の兄弟をのぞく8人全員が被爆しました。13歳で女学校1年生だった4番目の姉は、爆心地から約400m地点で被爆し、遺体は見つかっていません。
被爆当時の記憶はありませんが、お母さんはいつも涙を流しながら藤森さんたちに被爆体験を語りました。「なぜつらい思いをしても語るのか」と問うと「あんたらを同じ目に合わせとうないからじゃ」と答えたといいます。
広島では周りの人はほとんどが被爆者だったため、日常的に被爆体験を聞きながら藤森さんは育ちました。被爆者が高齢化する中で「自分が被爆体験を語り継がなければならない」と考えるようになり、現在は核廃絶の活動に取り組んでいます。
3月の核兵器禁止条約の交渉会議(第1会期)は、当初被爆者代表は会議初日の最後にオブザーバーとして発言をする予定でしたが、会議直前になって討論の場で発言するように求められ、最終的には討論の冒頭で発言することになりました。被爆者の声が重要視されていることを実感したそうです。
この会議では、核兵器の非人道性や使用された場合の甚大な被害について、被爆者の証言やこれまでの事実をもとに「核兵器の被害は国境を越えて広がること」「次に核兵器が使われた場合どの国もどの国際機関も援助のすべがないこと」「核兵器不使用こそが人類の利益であること」、そして「核兵器の不使用を保証できるのは廃絶以外にありえないこと」が確認され、核兵器禁止条約の採択に繋がりました。
一方、世界で唯一の戦争被爆国である日本政府の代表は、初日の国連会議で「核兵器保有国の参加なしに、建設的で誠実な議論はできない」として会議への不参加を表明しました。これまで日本は「核保有国と非保有国の橋渡しをする」と言っていただけに藤森さんは大変落胆したそうです。
被爆から72年以上たった今でも被爆者が苦しみ続けている現状に背を向ける日本政府の対応は、橋渡し役を自称するにはほど遠い姿でした。
講演の最後に、ヒバクシャ国際署名が紹介されました。この署名は「後世の人々が生き地獄を体験しないように、被爆者が生きている間に何としても核兵器のない世界を実現したい」という被爆者の願いから、すべての国が核兵器を禁止し廃絶する条約を締結することを呼びかけて2016年に始まりました。
日本と同じ「核の傘」に入っているオランダでは、当初、政府は国連会議に不参加の予定でしたが、市民団体が国連会議への参加を求める署名を集め、政府を会議に参加させたそうです。
署名活動や市民の運動が実際に政治や政府を動かしています。ヒバクシャ国際署名も自分たちが署名することはもちろん、この取り組みに賛同し、署名する人を増やす運動が大切だと藤森さんは締めくくりました。
これまでの被爆者と市民社会は、核兵器禁止条約締結を 求めて運動してきました。条約が採択され、これからは核保有国や被爆国でありながら「核の傘」の中にいる日本政府が被爆者や市民の要求を受け止め、核兵器禁止条約に参加するように、さらなる運動が求められます。
藤森さんの講演を聞いた信州大学の医学生や看護学生からは、「被爆者の方が地道に世界を変えてきたように、自分も地道に社会を変えていきたい」「医療者として、市民として、日本の若者として、自分たちのできることに取り組んでいきたい」という感想が出されました。藤森さんの講演により核兵器廃絶に向かう世界の流れを知り、改めて核兵器の恐ろしさと平和の大切さを考える機会となりました。
安倍首相の改憲発言「憲法9条に『自衛隊の存在を明記』し、2020年に施行をめざす」で9条が戦後最大の危機に直面しています。
全日本民医連理事会は、国会で改憲発議をさせない世論と運動を一気に盛り上げるため、「憲法Café」学習運動を強めるとともに、第2期憲法学習運動と9条守る大キャンペーン、共同の拡大と大署名運動を提起しました。
改憲を阻むには衆議院選挙で改憲勢力を3分の2議席以下に追い込むか、国民投票になった時に過半数の改憲反対票が必要となります。どちらも一人ひとりがきっぱりと意志表示することが必要になるため、法人、事業所、職場から『9条を守る決議・宣言』を挙げる運動に取り組んでいます。現在、県連すべての医科法人から『宣言』が発表されています。
7月28〜29日、県連看護管理者研修会のフォローアップ研修が行れました。2016年に3回行った研修会のまとめとして企画し、受講生15人と看護部員11人が参加しました。
午前は管理者研修で作成した、法人毎の平和や民医連の歴史を学ぶアクションプランと個人目標に対しての現状の報告を行いました。午後は事務幹部学校卒業生13人が加わり「看護幹部への問題提起」として、経営面やともに働く(たたかう)仲間としての協働についてプレゼンテーションをしてもらいました。
その後、法人毎、法人ミックスの2つのグループワークを行い、「私たちはどのような幹部集団をつくるのか。そのために何をするのか」というテーマで、普段なかなかできない「話し合える場」を持つことができました。研修終了後も継続してこのような「場」をつくる計画をたてた法人もありました。
夕食から二次会へと夜の交流も大いに盛り上がり、それぞれ元気に現場へ帰ることができました。
健和会総務・経理課では、毎月1回の職場会議の時に「憲法Café」の読み合わせや感想の交流・討論を続けてきました。最初の頃は全員で読み合わせをしてから感想の交流を行っていましたが時間がかかり過ぎてしまうためVol.5からは事前に読了してからの感想を交流することにしました。
少人数職場であり、なおかつ「ベテランと若手」という職員構成の職場なので、自由に自分の意見が言えることやタブーをなくす事を考えながら進めてきました。その中で若手から「民医連に入るまで自分は憲法や政治、平和とは無関係だと本気で思っていたし無関心だった。でも、定期的に学習をすることで関係があることがわかってきた」「自分の友達は全く興味がない。やっぱりもっと知らせることが大事だと感じた」などの感想が出ました。
ベテラン職員も自分が今まで学習、経験してきたことを語り、若手が自分の意見を出しやすいように場を作ってくれるなど、率直に感じたことを言い合える会議の場ができ、「憲法Café」を学習するのと同時に「民医連らしい職場づくり」の一助になっていると感じています。
総会方針や評議委員会方針なども会議の場で率直に意見を出し合い、成長していける職場づくりにつなげていきたいと思います。
8月1日、長野医療生協2か所目のグループホームが開所しました。7月22日の開所式では、多くのみなさんから期待や励ましの言葉をもらいました。
8月18日現在、7人が入居しています。入居者と職員、新しい者同士ということで開所してすぐはギクシャクしていた部分もありましたが、だんだん落ち着いて過ごせる時間も増えてきました。食事やおやつ作り、掃除などの家事も協力しながら共同生活をしています。歌声が良く響くリビングになっています♪
法人デイサービス看護職研修会行う
長野医療生協のデイサービス4事業所で働く看護職の集合研修を7月14日に開き、7人が参加しました。新設のグループホーム南長池れんげそうの見学も含め、「住み続けられるまちづくり 個別機能訓練加算」と題して豊田孝明法人リハビリ科長から学び、多職種協同だからできること、記録の注意点などの交流もでき、〝やりがい〞の再発見に繋がりました。
賑やかに夏を満喫
ハートヒル川路では、7月27日に入居者93人、来賓9人、ボランティア70人の参加で納涼祭を開きました。入居者さんも実行委員に加わり、準備を進めてきました。当日は、地元のお囃子や保育園児・小学生の歌や演奏が祭りに華を添えてくれました。焼き鳥や五平餅、流しそうめんなどもふるまわれ、夏を感じる賑やかな祭りとなりました。
病院屋上で新入職員歓迎会
7月25日、院内青年委員会主催の新入職員歓迎会を上伊那生協病院5階屋上で開催し、焼肉を楽しみました。参加者は新入職員6人、全体で約20人でした。参加者にも満足してもらえ、普段仕事上での関わりが少ない職種の職員同士の交流ができ、有意義な時間となりました。こういう企画を通じて、職員の輪を広げていければと思います。
原水禁世界大会参加者の壮行会行う
7月28日、東信医療生協で原水禁世界大会参加者の壮行会が行われ、15人の職員・組合員が集まりました。大会に参加する職員2人と職員の子の小学生に、折り鶴が手渡され、職員からは、核兵器禁止条約採決という歴史的情勢の下で開催される大会で、被爆の実相と核兵器廃絶運動を深く学んできたいという、力強い決意表明がありました。
〝玄蕃まつり〞で病院アピール
7月29日、塩尻協立病院・協立福祉会は、地域広報活動の一環として、玄蕃まつりに職員・家族約40人が参加。連長の中野博文院長を先頭に、揃いの法被に白狐のお面、フェイスペイントなどで、思い思いに地元の民話に伝わるキツネ「玄蕃之丞」になりきり、「協立わっしょい」とかけ声も高らかに市内を踊り歩きました。
ウォールアートで明るく
諏訪共立病院小児科外壁のウォールアートが完成しました。子ども達が明るい気持ちで診療を受けられるように、小児科運営委員会が主体となって検討を重ねてきました。壁面をステッカーや折り紙で装飾し、間接照明をあてるととても明るく華やかな雰囲気となり、院内外で好評です。今後は春夏秋冬で装飾を変えていく予定です。
緩和ケアは、がんと診断されてから、その人に起こるさまざまな苦痛やつらさを、少しでも軽減し、その人が自分らしく過ごせるように多職種でサポートしていきます。
がんは、日本人にとってとても身近な病気になりました。がん患者さんは、がん自体の症状の他に、痛み・倦怠感などの様々な身体症状や、落ち込み・悲しみなどの精神的な苦痛、経済的な問題などの社会的な苦痛、自分の存在意義を脅かされるようなスピリチュアルな苦痛など、さまざまな苦痛を経験されます。
私たちの病棟では多数の専門職が力を合わせて、いろいろな角度からがん患者さんの苦痛に焦点を当てた治療・ケアを行います。そのため、療養環境も家庭的な雰囲気を大切にし、患者さんや家族が安心して過ごせるように配慮しています。患者さんや家族と関わる時間を大切にし、その日一日をどう過ごすか部屋持ち看護師と計画します。
病室は全部で12床(個室8床・トイレ付6室 2人部屋2室)、遠方からの家族や親戚の人が宿泊できるように家族控室を2室。患者さんの好きなものを料理してもらえるように家族用ミニキッチンもあります。また、談話コーナーはくつろげるようソファー等を用意しました。イベントは、季節に合わせたり、患者さんや家族の希望も訊いて、一つひとつ大切にして心に残るものにしたいと考えています。
今後は看護の質の向上をめざし、研修会や学習会への参加をし、患者さんや家族にこの病棟に入院してよかったと言ってもらえるよう、みんなで努力していきたいと思っています。
8月3日、長野県看護大学国際看護実習の一貫で行われている、サモア国立大学の留学生視察を受け入れました。今年で3回目です。
サモアでは糖尿病の患者が多く、日本で行われている治療や看護を学びます。当日は、サモアの学生2人、長野県看護大学生4人、教員含め計8人が来院、松本協立病院の職員7人が対応しました。
今年は「災害」をテーマに、糖尿病教室で行っている「糖尿病患者の災害対策」について南2病棟の五十嵐主任、長野県看護大学卒の大澤主任が院内災害マニュアルの講義を行いました。英語表記での補足が大変好評でした。
糖尿病の災害備品は、実物を病棟で準備してもらったので、参考になったようです。サモアでは「備え」の概念がないとのことで、国際看護としてはそのギャップが良い題材になったのではないかとのことでした。新棟見学では、各部署で温かく迎え入れてもらいました。交流会と振り返りの中で、サモアの学生から「アットホームで、ホスピタリティにあふれた対応がうれしかった」との言葉がありました。
後日、実習担当の宮越幸代准教授から、留学生が無事にホームステイを終えたこと、長野県看護大学の学生達の課題等も含め連絡をもらいました。今後、学生同士のまとめをもらえることになっているので、皆で楽しみに待っています。
満蒙開拓平和記念館(下伊那郡阿智村)がオープンして以来、ボランティアガイドを務めて5年目に入りました。昨年11月に天皇皇后のご訪問があり、来館者の人数は前年比1.6倍に増え、嬉しい悲鳴です。
飯伊(飯田下伊那)民医連の新入職員研修会では、毎年2日目の午後に記念館を見学され、共同組織の皆さんも支部や班の単位で、多数の方が来て下さっています。ありがたいことです。
飯伊地区から満州移民として渡満した人数は、全国一の比率となる8400人でした。しかもその半数にあたる約4200人が、再び祖国の地を踏むことはありませんでした。敗戦直後の逃避行の中で、集団自決など無惨な死を遂げたのです。開拓団は家族で渡満したため、亡くなった方の大半は、若い母親達であり、幼い子ども達でした。父親は兵隊にさせられていたのです。
記念館の基本姿勢は、開拓団の深刻な被害の実態をお伝えすると共に、関東軍の侵略に加担させられた加害の側面も取り上げています。さらに"
語り部"の体験談を重く受け止めていることです。
下伊那郡松川町の果樹農家Nさんは、敗戦直後の混乱期に、青酸カリを飲んで集団自決を決意されました。親交のあった中国人の援助を受けて自決を取りやめ、その後、家族全員無事帰国された方です。
今年5月にNさんは72年ぶりに旧開拓地を訪れ、その地で命の大恩人の家族に感謝の気持ちをお伝えすることができました。Nさんは6月に"
語り部"として登場し、その体験を話されました。
以下はNさんの結語です。「平和を守るには武器はいりません。人と人との心の結びつきこそが肝要です」。"語り部"の皆さんの共通の願いは「自分たちの体験を二度とさせてはなりません」
ヒバクシャのお話が頭から離れません。72年前の8月9日11時2分、一緒に蝉取りをしていた友人の「おーい!お前の方に飛んで行ったぞ!」と指差す方を向いた瞬間、凄まじい光に目がくらみ、次に目を開けた時には全く異なる景色になっていました。友人の行方はわかりません。今も蝉の声が怖い、夏が怖いと声を震わせました。「原爆は、瞬間的に人命、文化、自然を破壊し、その後もヒバクシャが死ぬまで生き続ける」という言葉も重く受け止めました。
閉会式で東北の小学5年の女の子が、ヒバクシャ署名について「核兵器廃絶のためにまず自分の住む地域から」と訴えました。戦争を知らない世代が声を上げ、ヒバクシャの経験や思いを受け継ぐことが重要ではないでしょうか。
私の心に突き刺さった2つの言葉があります。1つは平和記念公園にある石碑に刻まれた子どもの日記。もう1つはヒバクシャの言葉「皆さんにとっては原爆の日ですが、私達にとっては生きる苦しみが始まった日です」と、今もなお多くの方が後遺症で苦しんでいるという言葉。どうか核兵器のない世界へ...私からも訴えたいです。
核兵器禁止条約が採択されたこともあり、会場は活気に満ちていました。若い世代の力強さは印象深かったです。大会期間中も署名活動を続ける高校生の姿に、こうした活動が条約採択の力になっているのだなと思いました。核兵器禁止条約を育てていくためにも、私たち若い世代が今まで以上に力を合わせていく必要があると感じました。
原水禁大会で、被爆者の方をはじめ、さまざまな国の人など、多くの意見を聞くことができ、原水爆禁止への願い、平和への思いというものを強く肌で感じ取ることができました。その方達の思いを無駄にしないように、これからの行動を考えていきたいと思います。
初めて世界大会に参加しました。「核兵器禁止条約を力に、核兵器のない平和で公正な世界の実現を」をテーマに大会は盛り上がり、熱気と活気に満ちた各県・各国代表が活動報告と平和への思いや希望を語っていました。大会を通じて、知る大切さや署名の力の大きさ、一市民として声を上げる大切さを知りました。
一番心に残ったのは議長団の安斎育郎さんの言葉です。「バンジージャンプの命綱も切れてしまったら命綱ではなくなる。同様に核兵器禁止条約も核兵器が使われてしまったら元も子もない」-この言葉を聞いて、条約採決に満足するのではなく、核が世界から消えるまで力を合わせ進み続ける必要があると強く感じました。
ピーマン : 5~6個
塩昆布 : 1つまみ
ごま油 : 小さじ2
❶ ピーマンの種を取り除き、細切りにする。
(苦味が気になる人はレンジで2分ほど加熱)
❷ 塩昆布・ごま油・ブラックペッパーまたは七味と
①のピーマンを和えて完成。
塩気が薄ければ塩を少々加える。
夏にあちこちからもらったピーマンがたっぷり食べられて、ご飯・お酒のお供にもピッタリ!
〝社会保障は無駄ではないことを大原則〞にしたいと思います。平成22年版「厚生労働白書」では、地方の雇用割合は医療・福祉・介護が最も高く、社会保障の経済波及効果・雇用誘発効果は、国がすすめる公共事業などの他産業よりも大きい事が実証されています。
しかし、医療・介護情勢としては、新たな公的医療費抑制政策がとられ、さらに病院のM&A(吸収と合併)にみられる医療・介護の産業化が起きています。
国は、医療費抑制を医療保険制度関連法により、公的保険による皆保険制度と医療介護供給体制をリンクして始めようとしています。
具体的には「川上」改革として、病院から患者・利用者を追い出す。これは県が策定する地域医療構想でベッド数を削減し、それにかかる医療費と国保の都道府県化による保険財政、医療従事者の数、診療報酬を抑制します。
「川下」に追い出された患者・利用者は、介護サービス料などの費用が払えない場合に備え、地域での支えあいを準備することになります。そのため地域医療構想と地域包括ケアを一緒に理解することが必要です。
公的医療費の抑制は、80年代の「医療費亡国論」(高齢者が増えると医療費が増え、国家財政が逼迫するという考え方)から始まっています。これは日本独自の発想で、英国のブレア元首相が「医療費が日本より低いのはまずい」と大きく引き上げた程、日本の医療費は少なくなっています。政府は40兆円突破と言いますが、公費負担は38%の16兆円、この内、国の負担は4分の1の10兆円程度です。
その上、医療費管理とその供給体制を都道府県に任せさらに削減させることに、厚労省のOBからも「自己責任や助け合いに依存しすぎ」という批判もでる程です。
実は、就業者数としては女性や高齢者の就業率は増えているので、社会費用の負担は今後も変わらないのです。しかも、これらの就業率が高くなると地域の助け合いが低下し、自助・互助の地域ケアのブレーキがかかります。地域包括ケアは病院や施設で提供していた事を在宅に出向いて提供するため、本来は費用が増えるはずですが、財務省は家に帰ったら家族にやらせろという安上がりの立場なので現実には無理があります。
所得格差が広がっている地域は健康格差も広がっています。生活習慣が健康に及ぼす影響は2割〜3割という実態があり、貧困や病気は「自己責任」というのは明らかに違います。
この「自己責任論」の行き先はどうなるか。たとえば最近、公園に丸太のような丸いベンチや肘掛付きベンチがあります。背もたれがなかったり、横になれないのでホームレス・レスベンチと呼ばれています。しかしこのベンチはホームレスだけでなく、高齢者や妊産婦も公園から排除しました。誰かを「排除する」という発想では社会保障は成り立ちません。
1960年の「朝日訴訟」第1審東京地裁判決は「社会保障は予算の有無でなく、むしろ予算を指導・支配すべきもの」という画期的なものでした。私たちは改めて「社会保障にお金をまわせ」という立場を大切にしましょう。
国の「自己責任で、助け合いで、地域で、自治体で努力すべき」という社会保障に対する考え方を逆手にとって、住民自治や地方自治など地方から政策をつくっていく社会保障運動をつくりあげましょう。
講演を受け、井出吉人県民運動まちづくり部長から、県民運動まちづくり部で作成中のパンフの学習をし、①事例にこだわり、②医療費亡国論を乗り越え、③一番困っている人に焦点をあてる事を大切にし、④運動をすすめる側の本気度を示そうという提起がありました。
7月4日、第8回公判が行われ、県内外から100人を超える支援者が集まりました。
今回から証人尋問に入り、この日は当日、山口さんと一緒に勤務していた介護士の森山さんが証人でした。検察側は厳しく問い詰め、「森山さんがしっかり判断できない人」「弁護側の人間で証人として信用できない」という印象を裁判官に持たせようとしているように傍聴者には見えたそうです。
森山さんはしかも、5時間という長丁場の証人尋問に対して、冷静に誠実に対応しました。公判後の支援者集会で木嶋弁護団長は「森山さんの頑張りで検察は意図していたようには進められなかったのではないか」と話しました。
8月以降も毎月証人尋問が組まれています。心身ともに大変な負担がかかる証人のみなさんを応援するためにも、公判日には裁判所にお集まりください。また、新たな署名(7月13日現在、2万9745筆)にもご協力をお願いします。
第9 回公判
8/21(月)証人:松澤介護士(第一発見者)
第10 回公判
9/11(月)証人:検察側
第11 回公判
10/23(月)証人:上島医師(主治医)、細川施設長
2014年の特定秘密保護法、2015年の安保関連法、2016年の盗聴法拡大、2017年の共謀罪。国民の反対を押し切って3年間の間に毎年定期便のように成立したこれらの一連の法律は、日本を好戦的な軍事大国に作り上げる独裁政治の土台を作るものでした。日本の過去100年の歴史の教訓から学ぶことのない反知性と立憲主義から大きく逸脱する反理性・反論理の政治です。しかしこのような話も、「人間の権利」と「権力」との調整を「法」という形で互いに調整して進めようとする、明治以降の近代政治の範囲の話です。
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ところが、とんでもないことに安倍首相は、日本の政治を江戸時代以前の政治へ逆戻りさせました。森友学園と加計学園の問題は、私的な理由で公の政治を左右する、道理など通用しない政治の私物化そのものです。
安倍首相は政治を行う公人としての常識を踏み外し、人としてやってはいけない一線を踏み越えました。それは近代文明の常識である「平等」「公平」という考え方を否定してしまったことです。都議選は日本と東京の未来をかけた政治戦でしたが、落語を愛してやまない辛口の江戸庶民の末裔が、こんな「平等」「公平」もわきまえない人物につながる政党を許すはずはありません。自民党の大敗は、今の国民の感情の根本的なところでの「日本人の倫理観」の現れです。
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ヒトラーは最後の4年間を「オオカミの巣」で暗殺におびえながら、参謀の意見も聞かずに狂った作戦命令を出し続けました。そして70年後、安倍首相は加計学園問題の責任を追及され正気を失い「一つの獣医学部がだめなら、二つでも三つでも獣医学部を新設すればよい」と言い放ちました。日本の首相も狂気の域に入りました。安倍政権を倒さなければ、日本国民の「正義」が死んでしまいます。良識ある国民の世論を大きくしていきましょう。
7月7日の平和行進に参加しました。私は午後から10kmのみ参加しましたが、堪えるような猛暑でした。そんな中でも朝から多くの人が参加しました。たくさんの人に声をかけてもらい、中には沿道から千羽鶴を持ってきてくれたお年寄りもいました。平和を願う気持ちは違わないと実感しました。
私は今年の原水禁世界大会の長崎に参加します。平和行進で繋がった平和の願いを、今度は私たちが長崎へ繋げたいと思います。
自動釣銭機を導入
6月から諏訪共立病院医事課に自動釣銭機が導入されました。社会医療法人として、より正確な会計業務が求められるため、導入に踏み切りました。これにより医事課で長年の課題となっていた会計締め業務の現金過不足問題が解消され、職員の負担軽減にもなっています。まだ不慣れですが、使いこなせるように努力しています。
第20回老健ふるさとまつり盛大に
7月9日、840人を超える参加で「第20回老健ふるさとまつり」を開催。春先から組合員と職員で実行委員会をつくり準備し、当日は地元の古里小マーチングバンドの演奏(写真)、健康チェックや出店、舞台発表、利用者の作品展示、過去のまつりを振り返る特別展示など、開設20年目のスタートにふさわしいものとなりました。
「防災クロスワードゲーム」から学ぶ
6月8日、林の杜で飯田市危機管理室の後藤武志防災係長を講師に防災学習会を開催。「他病院へ移送中の患者さんを報道カメラマンが撮影しようとする。そのまま撮影させる?」など、実際にあった事例にYesかNoを選択するゲームを通じ、非常時の判断は、住民や行政といった立場によって変わり正解がないなど、深く考えさせられました。
楽しく手話ダンス
7日7日、上伊那生協病院一般病棟で、病棟の約半数の患者さんが参加した七夕企画を行いました。とくに辰野町の手話ダンスチーム・リュシオールのみなさんによる歌に合わせた軽快な手話ダンスには、患者さんもご家族もリズムに乗ったり、一緒に手を動かしたりする姿が印象的でした。とても楽しい企画となりました。
今年も核兵器廃絶国民平和大行進
7月5・6日、千曲市から小諸市までの行進には東信医療生協からも6人の職員が参加し、暑い中を元気よく行進しました。5日は上田駅前で受け入れ式を行い、国連の「核兵器禁止条約」制定交渉の中で、条約の最終案前文に「ヒバクシャ」の文言明記が伝えられる中、核兵器廃絶の思いを胸にみんなで歩みを進めました。
救急症例カンファレンス
松本協立病院では、毎週水曜日に初期・後期研修医を中心に救急症例カンファレンスを行っています。初期研修医が経験した症例を提示し、研修医役、患者役、救急隊役を分担し、救急隊から電話が入ったところから状況を再現しながら振り返ります。指導医や先輩医師からのレクチャーもあり、救急対応のレベルアップをめざします。
7月1日、ホテルメトロポリタン長野で、民医連北関東甲信越地方協議会医師委員会による「医師養成学習決起集会」が行われ、医師、事務幹部、看護幹部ら約120人が参加しました。
問題提起で地協の番場医師委員長は、「この集会は、民医連のバトンを持って走ってきた世代と次の時代を牽引していく世代との率直な論議が必要という事で、全日本民医連が6月に出した『これからの民医連の医療、それを担う医師集団のありようを探そう』との提案を受けて開催したもの、みなさんでおおいに議論をしてほしい」と訴えました。
討論では、若い医師らから「民医連の奨学生として、医学生ゼミナールや医学生運動など民主的な活動を経験したことで民医連を決意し、その後多くの仲間や職員の支えを受け民医連の良さを感じている」「経済的理由で奨学生になり、そのまま民医連に就職したが、現場で人間を大切にする医療を普通に他職種が協同で行っている姿を見て、これからもここでがんばろうと思っている」など民医連で働き続けている理由が語られました。
また、「医学生に研修医や若い医師が生き生きとがんばっている姿を見てもらうことが大切」「研修医には他職種協同による民医連らしい医療を実感してもらうことが継続につながる」など、医学生、研修医とどう関わるかの発言もありました。
まとめとして岩須県連事務局長、番場委員長から、「民医連の奨学生数は過去最高(458人)に達しています。しかし一方で医療制度や新専門医制度などの大激変の情勢を背景に研修医の受け入れや後期研修医として民医連に残ることの困難さが表れてきています。それを突破するために、民医連の研修の魅力を可視化し、実感し、アピールする、そして他と違う民医連医療が語られた集会となりました。
集会名は決起集会、直ちに全日本の提起、そしてこの集会の論議を踏まえた医師養成の取り組みをすすめましょう」等の訴えがありました。
最近話題の「ランサムウェア」ってなんですか?
全世界で5月に発生したサイバー攻撃は、今日の情報化社会に大きな影響を与えました。英国営医療サービス事業(NHS)病院では電子カルテや検査機器に感染し、診療できない事態となりました。
ランサム(身代金)ウェアとは、スマートフォンなどデバイスをロックしたり、ファイルを暗号化したりすることによって使用不能にしたのち、元に戻すことと引き換えに「身代金」を要求する不正プログラムです。
これまでのサイバー犯罪者は、コンピューターシステムに侵入し個人や企業の情報を盗み、それを売って金銭を得ていました。しかしランサムウェアによって情報を盗む必要はなくなりました。データを盗み出すことなく、人質にとって金を要求すればよいのです。
このパラダイムシフトによって、医療機関は今日真っ先に狙われる対象となってしまいました。
カルテや検査結果など、患者デタなくして診療はできないため通常の相場以上の身代金を要求できること、ほとんどの電子カルテシステムは外部から遮断しているためセキュリティ対策がおろそかになっていることを、犯罪者は知っています。
ランサムウェアは身代金要求を表示できるディスプレイがあるものすべて、検査機器や医療モニタにも侵入します。ネットワークには
PCだけでなく検査センサーやスマートベッドなども続々と接続されています。
感染した場合の保険であるバックアップシステムの見直しも含め、改めて診療基盤である医療情報システムのセキュリティ向上は急務と言えます。
(松本協立病院システム課 課長・白川 栄治)
83歳になる私の父は、若い頃より労働運動や平和運動に情熱を注ぎ、毎年原水爆禁止世界大会に参加し続け、平和を守る活動をライフワークとしています。1972年にアメリカ占領地であった沖縄が日本に返還されました。私の幼少の頃の微かな記憶として、両親に連れられて沖縄返還デモに参加しました。当時は判別もつかない子どもながらに、沖縄の日本復帰を願う人達の気迫に圧倒された事を覚えています。
そんな父の小学生時代の絵日記を見る機会がありました。そこには、零戦と日の丸が描かれ、「お国のため、天皇陛下のために、早くお役に立ちたいです。」という一文がありました。今の父からは想像もつかない内容でした。当時は、第2次世界大戦の真っ只中で、国家総動員法に基づき、総力戦遂行のために人員や物資、資源を政府が統制運用できるようになっていました。父もその状況の中、教育勅語の教育を受け、日本軍の躍進を信じ日本の勝利のために心血を注ぐ一人でした。
今の日本は、戦争法に基づく南スーダンへの派兵や、共謀罪法、憲法改正など、そんな時代に後戻りしており、戦争する国づくりを躍起になって進めています。憲法9条が改正され戦争ができるようになれば、第2次世界大戦中と同様に、すべてにおいて戦争中心の政策となります。現在、日本はG7諸国の中で社会保障費の対GDP比は第5位と決して高くない状況ですが、今以上に社会保障費は削減されます。
格差社会が叫ばれ、子供の貧困率は16.3%に上ると発表されています。今こそ、憲法改正を阻止し、現憲法を活かした国づくりを進める時です。平和を願う皆さんと共に、憲法を守る闘いを取り組みたいと思います。
心臓・呼吸器疾患のあるIさん(81歳)が、2月に呼吸不全で救急搬送されてきました。呼吸状態・意識レベル低下のため人工呼吸器管理となりHCUで管理後、4西病棟に転棟となりました。
入院は二度目で、前回は杖歩行で退院できたので、今回もそれを目標に入院生活が始まりました。
ベッド上の限られた生活、言葉で伝えられないIさんの気持ちを思い、何度か呼吸器を外すことを試みましたが、状態が安定せず、外すのはむずかしいという結論に至りました。それでも、多職種のスタッフがADLが低下しないようリハビリを続けました。
呼吸器が外せない現実にご家族の不安は強く、自宅療養は受け入れられない状態でした。総合カンファレンスで意見交換する中、回復を見せているIさんの『家に帰りたい...』という思いを尊重したいと考えました。
「自宅療養はむずかしい=家には二度と帰れない」のではなく、「たとえ一時でも自宅に帰る」という選択ができないか、多職種による「できるため」の項目検討が始まりました。
リハビリによる、車いす移動に伴う座位体勢維持に必要な姿勢保持・呼吸機能維持のメニュ、呼吸器関連を管理する臨床工学技士の同伴や必要器材の準備。研修医の本田医師も同行可能となり、看護師はご家族と連絡を取り合い、寝台タクシーの調整をしながら何度も話し合いました。
5月26日、医師・臨床工学技士・リハビリスタッフ・看護師の同伴で、昼前に病院を出発し長野市外のご自宅へ。片道約40分、状態を確認しながら無事に到着しました。
自宅では奥さん、お子さん、お孫さんが迎えてくれました。3か月ぶりの我が家に、嬉しそうな、照れくさそうなIさん。定位置の「お父さんの場所」に座った表情は、病院にいる時とは違いました。「自分の居場所に帰ってこられた喜び」...そんな思いが、はっきりと伝わってきたといいます。
地元名産のアンズやおやきをごちそうになりながら、約2時間、自宅で穏やかな時間を過ごしました。
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現在、Iさんは療養型病院転院に向けて調整中です。その前に一時帰宅ができた事は、Iさんとご家族、一丸となって準備をした病院スタッフにとっても大きな挑戦で、心に残る出来事でした。忙しい中でも心に寄り添う大切さ、甦る温かな気持ちを大事にしていきたいと思います。
カルピス原液:80CC
牛乳:200CC
粉ゼラチン:4g
熱湯:大さじ1
レモン果汁:少々(お好みで)
❶ カルピスと牛乳混ぜ合わせる。
❷ 粉ゼラチンと熱湯を混ぜ合わせる。
❸ ①と②を合わせ良く混ぜる。
❹ ③にレモン果汁を加えて混ぜ、カップに入れる。冷蔵庫で半日冷やして完成。
お好みでマンゴーやブルーベリーなどのフルーツソースをかけてもOK。
レモン果汁を入れなくてもできますが、入れたほうが夏の暑い日にさっぱりと食べられます。簡単にできるので夏休みにお子さんといっしょに作ってみるのもいいですね !
そのスタートとなる医学対活動は、信州大学の医学生らを対象に4〜5月に毎年新入生歓迎企画を実施しています。新入生の「良い医療者になりたい」「地域医療を学びたい」という純粋な思いに応え、民医連医療を伝えるための各種企画を開催しています。
その一つが毎年、5月に行っている「僻地医療フィールドワーク」です。今年は、下伊那郡大鹿村を訪問し、医療過疎地域の医療・介護の実態に触れながら、これからの地域社会の在り方について考えました。
フィールドワークは、村長はじめ大鹿村の全面協力のもとで行われました。行政(住民福祉課長)・医療(診療所長)・福祉(社会福祉協議会)・住民生活(NPO施設長)の各分野からの講義と高齢者支援ハウス見学・入所者インタビューをもとに、「現代の高度医療・医療技術は、大鹿村住民の本当の幸せに寄与していくのか」をテーマにグループワークを行いました。
あるグループでは「高度な技術はもちろん大切だが、ちょっとした声や意見が届き易い医療も必要なのでは」「大鹿村の良いところに、住民と専門職者が共同で医療・福祉を作っているという『自治』の意識がある」といった意見が出され、住民の声に結びついて医療を行う専門職者の共同の姿勢に着目する意見が出されていたことが印象的でした。講師陣からも高く評価され、それぞれの立場から将来の医療者に向けてエールも送られました。
僻地医療フィールドワークをはじめとした新歓企画は約2か月の短期集中的な取り組みです。しかし、大学では得られにくい「誰のために、どんな医療者になるのか」を深める学習交流を通して、一人ひとりの学生が新たな価値観に出会い、自分自身の成長を実感している前向きな変化がそこにあります。
そのような学生の姿に触れるたびに、住民の要求を出発点にして、これからの医療を創っていく当事者である学生の良心とエネルギーにつながって行う民医連の医師養成にこそ、民医連医療を発展させる条件があるのだと強く感じます。
学生時代から民医連に親しみ、成長してきた医学生が研修医として入職しています。民医連医師としてさらに成長していけるように、多職種協働による全職員参加の医師養成を進めましょう。
管理者と各法人の顧問弁護士の今期5回目の交流会が、5月20日、松本市内で行われました。民医連関係者31人、弁護士7人が参加しました。
まず全日本民医連の顧問弁護士で、特養あずみの里裁判の弁護団にも参加していただいている小口克巳先生の「介護・医療現場と危機管理_事例から学ぶ_」をテマにした講演を聞きました。その後、中信から「あずみの里刑事事件」、上伊那から「交通事故事例」についてそれぞれ報告を受け、質疑を行いました。夕食交流会も含めて活発な発言、意見交流ができ有意義な時間となりました。
今後の課題としては、安全管理の上での責任と区別した記録の取り方、災害訓練のような「医療事故対応訓練」、介護事業所での実践課題整理などが寄せられました。
5月27日、松本勤労者福祉センターで、2年に1度の看介護活動研究交流集会を開催し、180人が参加しました。
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交流集会には54演題が提出されました。午前中は5つの分科会に分かれ、各テーマごとに発表、報告が行われました。自分達の病院や事業所での安全で、質の高い専門的な医療、介護の取り組みや患者・利用者に寄り添った認知症ケア、生活保護制度や貧困などに着眼した症例など、どの発表にも「民医連らしさ」が垣間見られる分科会になりました。
午後は、健康福祉地域支援協会代表理事で理学療法士である中村崇さんの講演が行われました。中村さんからは、地域の人たちと集まり、笑い、触れ合い、納得する看護介護職の役割や先を見据えた地域作りなど、さまざまな領域の話をきかせてもらいました。「長野のきみまろ」と異名を持つだけあり終始笑いに溢れた講演でした。
集会テーマは「つながろう!支えあおう!元気になろう!民医連の看護・介護〜心を笑顔にするために」です。集会参加者が少しでもこのテーマに近づくことが出来たのなら大変うれしく思います。
(運営委員長・清水 安土)
4月から毎週月・木曜日に行われている「沖縄民医連2017平和を守るたたかい」(辺野古新基地建設に反対する座り込み行動)に参加しました。6月1日当日は、全国・沖縄県内から22人の民医連職員が集まりました。
9時30分頃、辺野古のキャンプシュワブゲート前に到着すると、すでに現地の方々が座り込みをしており、私たちも合流しました。市民によるスピーチや、みんなで歌をうたい励まし合うなど、思ったより和やかな雰囲気でした。
しかし、12時、昼食のお弁当を食べている頃、基地からダンプが出てくるという情報が入りました。急いでゲート前に戻ると先ほどまでの雰囲気とは一変、機動隊・警備員が大勢集まり、座り込んでいる市民を抱え、排除していきました。その中で、市民の1人が逮捕されてしまいました。当てつけの様な理由で反対派を逮捕し、「見せしめ」が過激化しているそうです。ダンプが出た後も「仲間を返せ」の声をあげ、座り込みを続けました。
東村高江のヘリパット建設と同じように、住民を無視した勝手な都合で工事強行を繰り返す今の政府は許せません。やはり基地問題は沖縄だけの問題ではなく、自分たちの安全の問題だと思います。
(県連事務局 小林 正弥)
5月18日、東京・日比谷野外音楽堂で「憲法25条を守る5・18共同集会」が開かれ、全国から3500人、長野から150人が参加。高齢者の貧困と孤立、子どものいのちを守れ!など、「社会保障・社会福祉は国の責任で!」を確認しました。
第8回健康まつり開かれる
6月3日、第8回大町協立診療所健康まつりが行われました。小林デイサービスセンター長の認知症予防のための「脳トレ」の話、ステージでは松川響岳太鼓、大町第一中学吹奏楽部演奏等で盛り上がりました。大北友の会バランスボールインストラクターズのみなさんの演舞(写真)は会場の皆さんも一緒に楽しみました。
16年度決算で黒字を確保
南信勤労者医療協会第44回定期総会が5月27日に開催されました。昨年感染症疾患により1か月の病棟閉鎖となり一時大きな赤字が出ましたが、全役職員の経営努力により、16年度決算は1335万円の当期純利益を確保し、累積黒字は6323万円となりました。17年度は職員の働きやすい環境整備と満足度向上をめざします。
健康まつりに600人来場
5月21日、第23回南長池診療所健康まつりが開催されました。当日は朝から好天に恵まれ、暑い中約600人が来場しました。緑ヶ丘小学校の児童による金管バンドの演奏、松代オレンジキャラバンの皆様による講演会、神谷ありこさんによる歌声広場等、様々な企画で盛り上がり、楽しい一時があっという間に過ぎました。
開設20周年の思いを受け継ぐ
5月27日、かやの木診療所まつりを開催しました。診療所開設20周年を迎え、健和会病院の牛山院長による「誰もがなりうる認知症」の医療講演はデイケア室がいっぱいになる大盛況でした。職員による寸劇中村座は当時の診療所建設運動の様子を演じ、改めてつくる会のみなさんの思いを共有し、受け継ぐ大切さを実感しました。
いちごハウスお楽しみ会開催
病児保育いちごハウスでは、年3回「いちごハウスお楽しみ会」を実施しています。6月10日に開いた第1回では、パネルシアター、リズム遊び、手遊び、大型絵本など、楽しい時間を過ごしました。「病児保育室ってどんな所?」「どんな先生がいるのかな?」など病児保育の様子を見学したい人がたくさん来場しました。
共謀罪許さん!
6月4日に市民団体や労働団体などによる「共謀罪許さん緊急大集会in上田」が開かれ、約400人が参加しました。羽田雄一郎参議院議員(民主)、井上哲士参議院議員(共産)が挨拶に立ち、社民も含め3野党が参加しました。無言館館主の窪島誠一郎さんからもメッセージが寄られ、集会後は市内をパレードしました。
定期巡回随時対応型訪問介護看護サービス事業所、「諏訪共立定期巡回えにし」は6月1日、南信勤労者医療協会の新しい事業所としてオープンしました。諏訪広域連合としては富士見町、諏訪市に続いて3か所目の事業所です。
サービスの対象は要介護者で、1日複数回の短時間の定期巡回訪問と、利用者からの通報により対応・訪問を行う「随時訪問・随時対応」とを組み合わせたものです。
たとえば、単身生活で、1日数回ヘルパーの支援が必要な人、認知症で薬がきちんと飲めず病状が悪化し、入退院を繰り返している人、家で看取りをしたい人などの支援を、介護員が1日複数回定期巡回します。緊急時は24時間対応できるオペレータが連絡を受け、必要に応じて随時対応し、家での生活を支援します。諏訪共立訪問看護ステーションとの連携で、医療的依存度の高い利用者さんの家での生活も支援していきます。
介護内容は、朝の起床介助から始まり、食事支援、内服介助・確認、環境整備、水分補給、排泄支援、体位交換、就寝介助など、朝から夜まで、利用者のニーズに合わせ24時間365日、短時間複数回の訪問で生活を支援します。このサービスは複数回の訪問でも介護度別包括料金となりますので、安心です。巡回する地域は、事務所を拠点とし車で20分程度の地域と考えています。
事業所開設とともに、電子カルテ介護アプリケーションのモバイル(写真左下)運用も導入。これにより、複数回、地域を巡回しているスタッフは、利用者訪問時のバイタル・情報などをその場で入力することができ、またリアルタイムに病院との情報共有が可能となります。地域のみなさんの意見や要望を深く聞きながら、えにしが地域密着型サービスの要となるよう努めていきます。
「教育勅語」復活の動きがあります。
何が問題ですか?
教育勅語(教育ニ関スル勅語)とは、明治23(1948)年に大日本帝国憲法の下に発布された教育の基本方針を示す明治天皇の言葉で、315字で記されています。忠君愛国を国民道徳とするなかで、「天皇、皇后の肖像への拝礼」とともに「奉読」が学校で強制されました。ちなみに終戦時に小学生であった私の母親は、いまでも暗唱できるほどです。
主語は天皇、一番のキーワードは、「いざという時には天皇陛下に命を捧げなさい」ということです。この教えにより多くの若者が「天皇陛下万歳」と命を落としていったのです。戦後、日本国憲法が施行され、国会では、憲法違反として廃止が決議されました。
しかし、近ごろこの教育勅語を肯定し教育現場で使用をめざす幾つもの動きが見られます。話題の森友学園が経営する幼稚園では園児に暗唱させていました。さらに安倍政権は教育勅語を学校教育で扱う事に対し、「憲法や教育基本法に反しない形であれば否定されない」との答弁書を閣議決定しました。
このことは、今私たちが声をあげている「憲法を守る」ことに大きく反するものです。教育の場で子どもたちに戦前の思想を美化させていき、「戦争ができる国」を肯定させることにつながっていきます。こうした思想信条の侵犯、洗脳となる問題は、私たちが「これはおかしい」と気がついた頃には、すでに末期段階になってしまいます。いま、この瞬間に声をあげていかなければなりません。
(松本協立病院事務次長 小澤 康士)
最近、北朝鮮の弾道ミサイル発射実験や核実験関連のニュースが増えています「。核弾頭が搭載可能」「、アメリカ本土まで射程圏内」等、様々な情報が伝えられアメリカとの緊張状態が続き不安が募ります。日本も決して他人事では済まされない状況にあるからです。北朝鮮に近い日本海側には原発が数多く建設されています。「核弾頭」が搭載されていなくても、「アメリカ本土」まで届かなくても、日本海側の原発にミサイルが1発でも落されてしまえば甚大な被害が及びます。
また、このタイミングで、「憲法9条」を踏まえた憲法改憲も話題に上がっています。「自衛隊の存在を認めさせ、堂々とアメリカに協力し北朝鮮の脅威から国や国民を守る「」政府の意向に反対する者には『共謀罪』をちらつかせ大人しくさせる。」まるで憲法改憲のためのシナリオ通り(?)に事が運んでいるようにすら感じます。
「国や国民を守る」ことは政府の重要な任務であることは確かです。しかしその守り方をあえて他国の真似をする必要があるのでしょうか?真似では無く、日本にある憲法9条を海外にも発信し、共に平和を目指すことも「国や国民を守る」ことに繋がるはずです。百歩譲って、押し付けられた憲法かもしれません。しかし、憲法9条があったからこそ戦争を起こすことなく、自衛隊員が殺し殺されることなく過ごせたことも事実です。
そこで提案します。自動車や新幹線だけでなく、憲法9条も海外に輸出してみてはいかがでしょうか?輸出している原発より何倍も安全で安心だと思うからです。
2016年2月から始まった松本協立病院の工事が終了し、ついに新棟が完成しました。5月29日に外来、6月1日に病棟がオープンとなりました。
今回のリニューアルで入院病棟や外来診療の大部分が新棟に移転し、患者さんが安心して治療、療養ができる環境が整いました。また、手術室や内視鏡室などの治療や検査のスペースも増え、さまざまな急性期疾患にもしっかり対応できる能力も高まりました。これを機に、建物だけでなく医療の質や職員の接遇の力も高めていきたいと思っています。
厳しい社会情勢の中、民医連の事業所である松本協立病院の存在価値はますます高まっています。地域における健康づくりの拠点、社会保障改善・平和活動の拠点、無差別平等の医療を実践する最後の砦として、ひきつづき奮闘していきたいと思います。
この後も旧棟の改修が続きます。そして来年の春には全館グランドオープンの予定です。引き続きのご支援をどうぞよろしくお願いします。
塩辛大さじ 2
オリーブオイル大さじ 2
ニンニクチューブ 2cm
バター 10g
①塩辛を細かく刻む
②フライパンにオリーブオイルとニンニクを入れ火にかけニンニクの香りを出す。
③香りが出たら塩辛とバターを入れよく混ぜて完成。
お好みの野菜につけて召し上がれ。ビールはもちろん日本酒・ワインにもよく合います。
集会では、まず木嶋日出夫弁護団長は今回の訴因変更のポイントについて、①この間弁護団が明らかにしてきた異変当日の事実から、被告のおやつ時の注視義務違反は成り立たないと判断した結果であること、②そのため検察は、新たにおやつの形態が普通食からきざみとろみ食に変更になったことを確認せず普通食のドーナツを提供したという、おやつ形態確認義務違反に変更したこと、であると説明しました。
さらに長野県警が、県を通じて「介護施設でのすべての死亡事案」を捜査するための介入要請文書を配布した異常さについて指摘しました。そして、このような死亡事例をなにがなんでも過失致死罪に仕立て上げようとする事態がまかり通るならば、現場の介護を萎縮させ、日本の介護の未来を壊すことになってしまう危険性を明らかにしました。
また、弁護団は徹底的に事実を明らかにする中で、亡くなられたKさんに異変が起きるまでの時間はドーナツを配ってからは約4分、職員が全く気が付かなかった時間は約28秒であること、そして直後の救命対応、搬送後の病院での治療、死亡後のCT画像などからこの出来事は窒息ではなく、脳心事故との判断をもっていることを示しました。
今後の裁判にあたり、弁護団はひきつづき徹底して事実関係を明らかにし、検察が主張する注意義務違反による業務上過失致死など問えないことを裁判所に全力で訴えていくこと、日本の介護の未来がかかった負けられない裁判であることを訴えました。
さらにこの集会には全日本民医連青木看護理事、日本医労連三浦書記長、国民救援会瑞慶覧副会長らも駆け付け、支援、連帯のメッセージが述べられました。
福祉や介護を切り捨ててきたのは政府、何か起きたらその責任は現場という状況をなんとしても変え、一人ひとりに寄り添った介護を実現するため、この裁判を全力で応援するとの発言に参加者は大いに励まされました。
最後に被告とされた山口さんが、「この2年間どうしようもなく切ない気持ちになったりしたがみなさんに支えられてがんばってきた。検察がつくりあげた事実と違う起訴内容に負けずにたたかっていきたい」と決意を語り、連帯の拍手に包まれました。
今後の支援運動について①5月31日の第7回公判までに新しい署名を1万筆、今年度中に20万筆を集める、②支援の輪を広げるため勝ち取る会への入会をおおいにすすめる③裁判闘争に必要な資金カンパが提起されました。
被告の山口さんがKさんに背を向け隣の入所者のおやつ介助をし、Kさんへの注視義務に違反したため、死亡事件を起こした。
山口さんがKさんのおやつ形態が普通食からきざみとろみ食に変更になったことを確認せず、ドーナツを配ったことにより死亡事件を起こした。
県連社保・反核平和委員会では、2016年に子どもの貧困プロジェクトを発足させ、子どもの医療費負担がどう影響しているか分析するためにアンケートを実施しました。アンケートは16年12月中旬~翌年1月末、県連内6病院の小児科窓口、上伊那生協病院病児保育室「いちごハウス」、健和会病院子育て友の会の協力で、366件の回答を得られました。その結果から、子育て世代にとっての医療費の負担感の大きさ、完全窓口無料への切実な実態が浮き彫りになりました。(データは抜粋)
老人保健施設はびろの里では今年3月から無料低額老健事業を開始しました。
入所者のAさんは、自宅や車のローンを抱え病気を発症しました。子どもたちにも病気があり、妻が一人でさまざまな問題を抱えていました。この家族の生活再建の第1歩になれば...そんな思いが事業開始を後押ししました。
はびろの里未収金はここ数年で増え続け、7年前の1.8倍になっています。一方で制度改悪により負担限度額認定証交付率は下がっています。必要な介護を受けながら生活再建をめざせる制度は大切です。
(相談室主任 ・ 冨澤 さとみ)
●入所、ショートステイ利用料の利用者負担分、自費分の全額免除
●入所、ショートステイ利用料の利用者負担分、自費分の5割免除
●自費分の免除等
※自費分...食費、居住費、日用生活品費
原則として利用は1か月だが、更新申請可能。
4月18日、メトロポリタン長野で長野中央病院主催の「地域に開かれた病院を目指して」をテーマにはじめての地域連携のつどいを開催し、開業医など90人が参加しました。
山本博昭院長は、安定した慢性期の患者の紹介などの地域連携をすすめ、長野中央病院の診療内容の充実や待ち時間対策、医師労働や医師養成の改善をすすめたいと説明しました。また、各科医師から科の特徴や連携への期待も語られました。長野市医師会長の宮澤政彦先生からは、「地域連携を大事にして一緒に頑張りましょう」とご挨拶をいただきました。地域連携のつどいは今後も継続したいと考えています。
(長野中央病院事務長 ・ 山本 佳道)
「いのちの章典」実践交流集会行う
4月22日、初めて「いのちの章典」実践交流集会をデイケア絹の里で行われ、職員、組合員合わせて47人が参加しました。昨年は医福連講師による学習会、職員研修として〝いのちの章典〞への理解を深め、業務や活動との結びつきを考えました。今年度は私達の日々行ってきた事業や組合員活動について事例を通して交流しました。
患者さんから送られた桜で
桜満開の4月20日、松本協立病院では院内で入院患者さんのお花見会を開催しました。「入院中、花見ができず寂しい思いをしたが、命を救ってもらった恩返しのつもり」と、毎年桜の花を送ってくれる患者さんがいます。その桜を眺めながら、新入職員による花笠音頭など余興も充実。50人の患者さんと楽しい時間を過ごしました。
病棟で桜祭り
4月26日、諏訪共立病院回復期病棟で桜祭りを行いました。病棟活動チームが主催、入院生活の中では季節感も感じにくいのでサンルームも切り紙の桜で飾り付け、ボランティア団体「彩の音」による琴と二胡の演奏を聴き、春気分を感じてもらいました。患者さん同士の会話も弾み、優雅なひと時に参加者は大満足でした。
将棋で交流
リハビリ友の会将棋クラブが、介護センタつるがの一室で活動しています。つるがデイサービスの中には将棋好きの人もいます。いつの頃からか将棋クラブとデイ利用者の交流戦が行われるようになり、月1回、昼食後の歩行訓練をする人たちをよそに、エレベータ前の一角で熱い戦いが繰り広げられています。
350人でメーデーへ
5月1日、第88回飯伊地区メーデーが開催されました。オープニングでは健和会の新入職員による若さ溢れるダンスパフォーマンスで盛り上げ、林の杜とゆいの里とのリレーアピールでは、介護施設の厳しい現状とあずみの里裁判支援を参加者に訴えました。他職種の現状を共有し、350人でデモ行進を行いました。
満開の桜を満喫
上伊那生協病院デイケアでは、4月中旬に伊那公園へお花見に行きました。今年は桜の開花も遅く心配しましたが、無事に春の風の心地よさを感じながら、満開の桜を楽しむことができました。最後はやっぱり「花よりだんご」になってしまいましたが、一年のうちで最も美しい季節を満喫できた一日でした。
認知機能の低下を伴うも、定住を望まず、ホームレス生活をしている当院外来通院で関わっている患者さんについて、経過を振り返り、ご本人の意向を尊重した支援のあり方をみなさんに一緒に考えていただきたくて、県連学運交で演題発表させていただきました。
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Aさんは2015年夏、転倒による肋骨骨折・血胸疑いで初診。その後、路上で倒れているところを救急搬送されたり、当院待合に長時間滞在して警備員に夜間退去を促されるなどのトラブルから、SWに介入依頼がありました。
会社経営をしていたがうまくいかなくなり、現在の状態に陥ったことが、何回かの面接でわかってきました。定期受診で、安定した居住先とバランスの良い食事の大切さをお伝えしましたが、元々の生活習慣になっていなかったと定住先確保を望まれませんでした。
1年目の冬は、軽い肺炎で当院に3か月ほど入院し、2年目の冬は腰椎圧迫骨折で入院しましたが、早期退院になりました。松本市と連携して、有料老人ホーム入居を提案するも、実現に至りませんでした。
ご本人に困り感はなくても、客観的には解決が必要な課題を持った患者さんを、ご本人の意向を置き去りにしてまで強引に「解決」につなげることをせず、命の危険がない限り、時間をかけて道理をつくし、ご本人の同意を得ながら、ご本人の望む生活と望ましい生活の実現に近づける援助の大切さと大変さを考えさせられました。日々の民医連医療と福祉実践を重ねていきたいと思います。
セルフメディケーション税制とはどういうものですか?
2017年1月から医療費控除制度の特例として施行されました。大まかな中身としては、薬局やスーパーなどで売られているお薬に「セルフメディケーション税制対象商品」と表示されている場合は、医療費控除の対象となり、確定申告すると年間購入額合計1万2000円を超えた部分が控除として戻ってくる制度です。利用するには、健康診断や予防接種などの健康増進や病気予防のための取り組みをしている証明(領収書等)が必要となります。また、従来の医療費控除制度と併用はできません。
制度の目的は、自己責任としての健康管理を促すことでもあります。しかし、薬剤師との対話を省略した自己診断による市販薬の服用は、重篤な副作用につながったり、診断の遅れといった危険性も含んでいる事を忘れてはなりません。
週刊紙等によっては、「病院に受診して処方されるよりもお得な制度」と触れこむ記事も見られますが、本来的に国民の健康に責任を持つべきは国の社会保障制度です。「お得な制度」が強調される一方で、国による「社会保障費切捨て」「医療・医薬品の保険外し」といった思惑も見え隠れします。
医療の本質から外れた「お得な制度」という一面的な情報に惑わされず、医薬品の安全使用の観点からこの制度をとらえる必要があると思います。
(巾上ひまわり薬局管理薬剤師・胡桃宏子)
私は鉄道が好きです。良くしたもので子供達も鉄道が好きなため、一緒に電車を見に行くこともよくあります。先日はリニア鉄道館に行ってきました。リニアには一切興味が無いのですが、381系しなのを見て楽しんできました。親子で同じ趣味を持つのは楽しいです。
さて、「不要不急線」というものをご存じでしょうか。戦中、旗色が悪くなり物資が頻拍した日本では、必要ないと政府に判断された路線のレールを剥がし、金属として提供したことがあります。不要不急線とはその際に線路が撤去された路線を指します。静岡にある御殿場線が昔は幹線ながら現在単線なのも、戦時中に片方の路線を撤去したからです。
この事からも分かるのですが、いざ戦争になれば社会に必要ないと政府が判断したものから犠牲になっていきます。鉄道のようなインフラでさえも提供されるのですから、高齢者に対する医療などはすぐに規制の対象になるでしょう。社会的弱者と呼ばれる人々への支援も今より更に少なくなるでしょう。
私たちは、社会で困っている人達に手を差し伸べる職業だと思います。その仕事が出来るためには、平和であることが必要になります。私も民医連の医師として今後も弱者に寄り添う医療を行いたい、そのために必要である平和を今後も守っていきたい、その考えで活動しています。私も戦争や平和を語ることはちょっと気恥ずかしさがあります。ですが、未来の医療活動、そしてわが子たちを守るためと考え、今後も声をあげていきます。
今年は家族で京都の鉄道博物館にいければいいなと考えています。今後もこの道楽が続けられるためにも、戦争のない日本を維持する努力を続けていきたいです。
長野県伊那市出身で、大学は高知大学です。趣味は卓球などのスポーツ、自動車やバイク、温泉旅行も好きです。寒い信州を離れ、温暖な高知で学生生活を過ごし、心も体も気分もポカポカになり、マイペースさに磨きをかけ、趣味を多数得ておりました。信州でも良い人間関係をたくさん築きつつ、医師としても確実にレベルアップできるよう努力していきたいと思います。
長野市松代で育ち、秋田大学を卒業しました。幼少期の頃から、医師の持つ知識や手技に憧れており、ずっと目指してきました。この2年間の臨床研修でも、たくさん学び、様々な技術を習得出来るよう、頑張りたいと思います。病院の中でも外でも、気軽に声をかけて貰えると嬉しいです。
出身地は下伊那郡松川町、出身は山梨大学です。高校時代に学校の近くにある健和会病院での職場体験に参加したことが民医連を知ったきっかけです。
焦らず、急がず、1つずつ、着実に学んでいくことを目標に、患者さんの声にも職員の方々の声にも応えられる医師を目指してがんばりたいと思っています。
長野県松本市出身、福井大学出身です。もともとスポーツ外傷でお医者にかかっていたことで医業に興味を持っていて、いざ自分が大学に進学するとなったときに「勉強するなら人の役に立てることをしたい」という思いが強く医師を志し、今に至ります。まだまだ至らないことばかりですが、精一杯頑張ってまいります。
晴れ渡った青空のもと、松本パルコ前で集会が行われました。集会では、杉尾議員の共闘の呼びかけ、元法務大臣平岡氏の「憲法が私物化されている」という危機感のあるメッセージが印象的でした。会場では恩師や知人とうれしい再会をし、連帯や草の根の広がりを感じることができました。憲法の精神は、私たち「国民の不断の努力によって」守る。そんな決意を新たにする機会となりました。
諏訪地方憲法集会主催により諏訪市民文化センターで開催されました。午前は憲法フェスティバルとして、平和をテーマとした作品や出展、明日の自由を守る若手弁護士の会の村越弁護士から憲法条文や改正を学ぶ講義がありました。諏訪地域民医連では青年平和委員会から活動報告のパネル展と福島物産の販売を行いました。
メイン講演では、参議院議員の杉尾秀哉さん。元アナウンサーとして報道の現場で感じた報道抑圧や共謀罪の問題、安部政権の問題についてわかりやすく明快な話を聞きました。今の情勢に対する危機感を改めて感じると共に、多くの声を挙げ続ける必要を感じました。
700人の参加者で超満員になった長野市若里市民文化ホルで、映画監督の三上智恵さんが「伝えきれない沖縄―平和への想い」と題して講演しました。
三上さんは映画『標的の島風かたか(=風よけ)』では、繰り返された米軍人による殺人事件から命を守る風よけになれなかったことや新基地建設やミサイル部隊配備で再び沖縄が、そして日本がアメリカのアジア戦略の風よけにされることを伝えている。今後もジャーナリストとして沖縄の闘いを伝えていくと決意を語り、大変盛り上がった素晴らしい集会になりました。
伊那文化会館に450人超の参加で開催されました。講師は信濃毎日新聞論説主幹丸山貢一さん。駒ケ根市出身の憲法学者、芦部信喜氏の思想を原点とした内容を紙面からひもといて語りました。法人からも実行委員会に積極的に関わり、憲法と70年間の平和について大いに学ぶことができました。丸山さんは「憲法13条の『個人の尊厳』を守る延長線上に『戦争放棄』がある」とし、平和を願う気持ちをたいまつに例えました。
私たち含め、多くの人々が暗い時代にたいまつを掲げて平和の灯を掲げていけるよう、学びの輪を拡げていきたいと思います。
見開き1,4ページはPDFファイルをダウンロードしてご覧ください。(4.7MB)
(回答数は177。複数回答のグラフは、総回答数に対する割合)
今年の特徴は「地域包括ケア」の関心が高いことです。マスコミの影響や最近の若者の特徴である地元志向の反映でもあります。これに「高齢者孤独死」や「生活保護・貧困問題」が続いており、若者の関心事と民医連の「無差別平等の地域包括ケア」づくりとがかみ合っていると感じました。
社会の出来事では「震災復興」が際立っています。これは支援打切りや復興相が自主避難者に対し「自己責任」論を振りかざして記者を恫喝したこと等を憂慮してのことだと思います。「安保関連法(戦争法)」も引き続き関心が高く、若者らしい正義感が表れています。
記述式の「健康で文化的な生活とは」との問いには「衣食住が満たされていること」という回答が多数でした。民医連は憲法25条の内容をギリギリの衣食住だけではなく、「人間の尊厳にふさわしい生活を営む最低水準」と捉え、WHO提唱の「健康権」(最高水準の健康を享受する権利)の実現を目指しています。
今後、こうした社会保障の内容も若い皆さんと一緒に学べることをうれしく思います。
職員育成部長・織野孝司
『長野県民医連』は日本機関紙協会主催のコンクールで表記の賞を受賞しました。審査員からは「トップで取り上げた青年職員の姿は、紙面の雰囲気も内容も読む者の気持ちを明るくさせた「」法人や仲間がたくさん登場して盛り上げる紙面づくりが良い」と講評されました。今年も毎号全力で読まれる新聞をめざしてがんばります。職員のみなさんからの発信もよろしくお願いします。(機関紙編集委員会)
南信州・飯田産業センターにおいて、「地域医療構想を考える市民のつどい」を開催しました。この企画を健和会が主催することになったきっかけは、「飯伊地域は地域医療構想の方針にそぐわない地域」で、「それを押し付けられたら地域が壊れる」という認識を持つ医師会をはじめとする関係者が多数いたことでした。それを関係職種や地域住民にアピールしたい、そういう願いがありました。
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当日は、飯田医師会などの協力により、全体の問題提起にいのを新野へき地診療所長の原政博医師にお願いし、各分野からの報告を、主催した健和会病院の牛山院長ばかりでなく、地域のケアマネジャー、特養施設長、日赤の看護部長、高森町の健康福祉課長、療養病棟単独の病院長、利用者家族など、地域の医療や福祉に深く関わるみなさんに語ってもらいました。
原医師は、「地域医療構想の背景にある、国のすすめる骨太方針で長野県は3600床・飯伊は177床のベッド削減が例外なく押し付けられる事」「この間に県に述べた意見が無視された経過」「地域医療構想の押し付けは、医療機関が役割を分担・協力し合い健康度が高く低医療費が実現している状況を破壊する行為」と話されました。
各報告者からは、現状も含めたリアルな話ばかりでした。とりわけ、2018年の介護療養病棟の廃止を受け、「家庭介護力低下の中でどうやって医療度の高い患者さんを介護していくのか。療養病棟で多くの人を看取っているのが現実です。これだけの人をどこで看取るのか」また、「療養病棟から押し出される人を在宅や施設でみる受け皿はあるのか」など困る事例が続出し、地域が大混乱する懸念がうかがえました。
参加者からは、「地域の現状と今後の問題がよくわかった」「利用者の声に心を打たれた」「よい機会であり企画した健和会に感謝」「次を計画してほしい」など多彩な感想が寄せられました。
地域の医療介護のスタッフが問題意識を共有し、共に考え、「住み続けられるまちづくり」をどう創っていくのか、こうした機会を健和会が「地域の架け橋」となって今後も築いていきたいと思います。
(健和会専務・牧内智則)
総合事業(介護予防・日常生活支援総合事業)とは?
「テロ対策」のために必要であると安倍政権が出した法案です。しかし、法務省が当初示した原案には「テロリズム」の表現はありませんでした。では、「共謀罪」を成立させたいという狙いは何でしょうか。
この法案の内容について政府は、❶2人以上で犯罪を計画し、準備行為をしたと認定すれば処罰する❷「組織的犯罪集団」でない正当な「団体」でも、目的が一変して犯罪集団になったら認定すると言っています。けれど、そもそも「組織的犯罪集団」という看板を掲げる組織はありません。
では、①や②はどのように認定するのでしょうか。それは、国民や正当な市民団体を国家が常に監視し続けることで成り立ちます。具体的には、会話や電話、メール、ツイッターやLINE、GPS情報などで監視することになるでしょう。昨年の盗聴法改悪では盗聴対象犯罪を一般の罪に大きく広げました。
もう一つの大きな問題は、「犯罪」であるかないかを政府や警察が決めることです。政府に都合の悪い事を考えた、行動したことが「犯罪」とされれば、戦争法反対、米軍基地建設反対、原発反対などの市民運動が対象になる可能性もあります。
安倍政権は「戦争できる体制」づくりの戦争法を強行採決しました。13年には政府指定の「秘密」を知ろうとした国民を処罰する秘密保護法、16年には盗聴法を多くの国民の反対を押し切って成立させました。国民の知る権利を奪い、国民を監視し、政権に反するものは処罰する、「共謀罪」はこの流れの総仕上げともいえる法案です。今までの日本の在り方を根本から変えてしまうこの法案を決して許してはなりません。
折に触れて思い出す小学校時代の恩師がいます。1年生から5年生まで担任だったT先生は戦争体験者でした。先生自身が中国で終戦を迎えた後シベリア抑留を経験し、生死の境をさ迷いながら帰還したという悲惨な体験をもちながら、同時に教師として大勢の教え子を戦地に送り出してしまったという痛恨の思いも胸に秘めながら反戦運動をされていたことを後々知ることになります。私が6年生に上がるタイミングで定年退職されましたが、その後も、信州戦争展の運営などにも長く関わりながら、草の根で粘り強く活動されていたようです。
成人してしばらく経った頃ですが、先生は最後の教え子となった我々を呼び集め、戦争体験を語ってくれました。間もなく先生は亡くなられたのですが、死期の近い先生が最後の力を使って私たちに伝えたかったことはなんだったのか。その時点ではまだ私の中でぼんやりとしていたように思いますし、一緒に聞いた同級生たちも、先生はどうしちゃったんだろう?という受け止めだったと記憶しています。
私が民医連に就職したのはそれからだいぶ経ってからでした。原水禁世界大会や辺野古支援連帯行動への参加、満蒙開拓平和記念館の見学などを通して、戦争の悲惨さや矛盾、戦争責任に正面から向き合おうとしない日本政府の姿勢を知ることになります。怒りの気持ちが湧き上がってくるのとオーバーラップしてT先生の記憶が蘇ってきました。今では、当時先生が我々に伝えたかったことを想像することができます。
この間の国政選挙では、先生のことを思い出しながら、憲法9条が輝く未来を願って一票を投じています。T先生の遺志を受け継ぎ、自分の子ども達の世代にも語っていかなければと思っています。
午前中は分科会が行われました。107演題が報告され、活発に討論が行われました(分科会座長が選ぶ推薦演題は2面表)。初めて参加した職員からは「私たちの連絡会でこんな良い取り組みがされていたのか」「県連内の全域で民医連の運動や活動が行われていて、民医連のすごさと一体感を感じた」などの声が聞かれました。
午後は、白神優理子弁護士(八王子合同法律事務所)による記念講演「日本国憲法は希望〜憲法25条が生かされる医療の現場を〜」が行われました。
冒頭で白神弁護士が触れたのは、話題の「森友学園」の話でした。子どもたちに運動会で「中国・韓国は悪い人間、嘘の教科書はやめて」などと宣誓をさせたり、教育勅語を暗唱させるなど戦前の日本を思わせる驚くべき内容に対し、竹本源治氏の「戦死せる教え児よ」の詩を引用し、「教え子を戦争に送るために教育した後悔」、これが憲法の原点と解説。そして、憲法13条の「個の尊重と幸福追求」の大切さに触れ「すべての人が愛される大事にされる国づくり」を力説しました。
また、憲法25条の「健康で文化的な生活をおくる権利があること」、それを国が保障し、権力を憲法によって縛っている立憲主義の重要性について語りました。
「自民党草案」の危険性は、若手弁護士会の作成した漫画チックなイラストで分かりやすく解説しました。「主語が変わっている⇒国家のための憲法」「戦争放棄⇒安全保障」「公益=国の都合で強制される緊急事態条項」「家族は助け合い・・自己責任」など。その中で「経済的徴兵制」に触れ、「高すぎる学費で奨学金返済地獄。卒業しても半分は非正規。仕方なく自衛隊へ」まさに日本の社会の歪みを指摘しました。さらに共謀罪(テロ等組織犯罪準備罪)に触れ、現代版治安維持法が通れば「安倍政権の狙い8合目まで到達」と話しました。
しかし、一方で「総がかり行動で民主主義が目覚めた」「世界の流れは非軍事へ」の流れが大きく進んでいることを強調し、次回の総選挙がいかに大切かを語りました。民医連の社保運動や平和活動は「医療者としてプライドをかけた命を守る闘いである」とエールをもらいました。時の経つのを忘れるようなわかりやすく元気の出る講演でした。
(編集委員長)
裁判が始まって2年が経過しました。多くの皆さんのご支援で署名は17万筆を超えました。ありがとうございます。昨年9月に検察が「起訴内容の変更」を申し出て裁判所が認めたため、新たな展開となりました。新たな署名にも取り組みますので引き続き、カンパも含め力強いご支援をよろしくお願いします。
1月17日、長野県庁で県連介護ウェーブ推進委員会と県連ケアマネ代表が介護保険制度改悪の実態を訴えました。
2015年から始まった介護保険制度の改悪は「適正化、効率化、重点化」というキーワードにより、とても大きな影響がもたらされました。その中でも「①予防給付の見直し
②特養の機能の重点化
③利用料の見直し、補足給付の見直し
④介護酬の引き下げ」という4つの改悪は、利用者はもとより介護に携わるすべての人に影響を与えるものです。
「予防給付の見直し」は、要支援1、2のヘルパー支援とデイサービスを国の行う介護保険から市町村が行う「総合事業」に移行するというものです。つまり、国の保険で行っていた事を市町村に丸投げして、後は市町村の裁量しだいということです。これでは、自治体による格差がうまれてしまいます。また、従来のサービスから人員等の基準を緩和し、より安価なサービスを行うもので、サービスの質の低下は免れないでしょう。
また、「利用料の見直し」により費用負担が増え、施設入所をあきらめざるを得なくなった人、サビスの利用を制限せざるを得ない人が出てきています。「特養機能の重点化」により、入所基準が要介護3以上になり、要介護1、2の人達は利用できなくなりました。必要な人に必要なサービスがいきわたらなくなってしまいます。
そして、介護従事者は3K、4Kと言われ、他産業の給与所得と比べ8〜10万円低い給料です。それでもやりがいや魅力を感じて従事しています。しかし、制度改悪の影響から現場はますます厳しくなり、担い手が減ってきていること等を報告しました。
記者会見の後、長野放送「みんなのニュース」から取材の依頼がありました。4月から始まる総合事業について、利用者や事業所にどのような変化があるのか、そして介護保険はどのような方向に向かっていくのか取材したいとのことでした。
デイサービスセンターはなみずき(塩尻)と、ヘルパー支援を利用している利用者さん宅(岡谷)でTV取材が行われました。ヘルパ支援の取材では共立ヘルパーステーションからヘルパの専門性がいかに必要なのかが語られました。(3/17放送)
記者会見によりメディアを動かすことができました。この1回で終わらせず、次につなげていきたいと思います。
(県連介護ウェーブ推進委員長)
3月11日、県連共同組織活動交流集会が長野大学で開かれ、300余人が参加しました。集会は「3.11」に思いを寄せた「花は咲く」の合唱から始まりました。
記念講演は無言館館主の窪島誠一郎さん。「『無言館』のこと〜戦没画学生の魂をひきついで〜」と題してユモアを交えながら静かに力強く、戦没画学生の絵が告発していることを訴えました。「原発稼働したころ、私はコンセントの向こうに原発があることを少しも考えなかった。その積み重ねが今につながってしまっている」という言葉が印象的でした。
分科会では「憲法・平和」「まちづくり」「居場所づくり」「健康づくり」など7つのテーマに対し例年以上の37演題が集まり、6分科会と動く分科会(無言館・信濃デッサン館見学)で交流しました。
いのちの大切さを考え多彩な活動を交流した一日は、今後の共同組織の発展を感じさせる集会になりました。
(県連事務局)
第1分科会 | 法人内全職員で一つの学びを共有するためのとりくみ ~原発事故被災地視察をきっかけに~ |
上田生協診療所 | 斉藤 友子 | 看護師 |
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第2分科会 | 認知機能低下を伴うホームレスの方への支援 | 松本協立病院 | 由井 厚子 | SW |
第3分科会 | 在宅医療へ介入して ~検査技師の役割~ |
上伊那生協病院 | 小林 夏枝 | 臨床検査技師 |
第4分科会 | 高齢者虐待と生活困窮の関連性からみる高齢者虐待の理解と支援 | 河西部地域 包括支援センター |
長瀬 誠司 | SW |
第5分科会 | 相手の気持ちに寄り添うこと | 介護老人保健施設 はやしの杜 |
髙間 俊彦 |
介護福祉士 |
第6分科会 | 法人内連携で在宅生活を支える ~「もう少し家でがんばってみよう」~ |
通所介護 悠々倶楽部かみしな |
高見澤 伸也 |
介護福祉士 |
第7分科会 | 認知機能スクリーニング実施と認知症ケア加算の取り組み ~評価管理システムを活用して~ |
健和会病院 | 坂井 純子 | 看護師 |
第8分科会 | 透析中運動療法の取り組み | 健和会病院 | 加藤 裕子 | 理学療法士 |
P第1分科会 | 情報共有と人権、SDHの視点を重視したカンファレンス(ZRC)の取り組み | 健和会 飯田中央診療所 |
中村 慎吾 | 事務・PSW |
P第2分科会 | 総合評価法を用いた手指衛生に対する看護師の行動変容 | 長野中央病院 | 宮川 佳也 | 看護師 |
健和会では、共同組織強化月間中に拡大と助け合い、健康づくり事業を検討し、たまり場をつくることになりました。病院近くの組織課・友の会事務所を増改築し、2月1日に「よりあい茶屋・みんなの手」をオープン。初日は13人が集まり、うたごえでにぎやかに楽しみました。
運営は「いつでも元気」の還元金で賄われ、月~金の10時~15時は、病院の診察が終わった人などがコーヒーを飲みながら世間話、水曜日は、送迎付きで近くのスーパーの特売日に合わせた買い物ツアーと、病院栄養科で作った昼食付きのお楽しみ企画を行います。「無料塾やこども食堂」「文房具の提供企画」などの活動と共に広げていきたいと思います。
(健和会)
オレンジカフェ開店しました
辰野町では昨年末から社会福祉協議会・NPO法人・医療生協の3か所で、認知症の人や家族の拠りどころとなる「オレンジカフェ」を開いています。高齢になれば誰もが認知症への不安を感じます。気軽に相談し、気持ちが通じ合える場所があれば安心できると、医療生協では辰野支部が運営を行っています。
健康マージャンでいきいき!
東信医療生協では、毎週水曜日の午前中、組合員ルームで健康マージャン(吸わない・賭けない・飲まない)を行っています。初心者歓迎なので女性も多く、ベテランが懇切ていねいに指導しています。参加者が大勢のときには2卓では足らず、周りを囲むほど賑わっています。
おかわり自由!お寿司バイキング
2月23日、塩尻協立病院3階病棟で毎年恒例のお寿司バイキングを行いました。この日だけは普段はできない「おかわり」も自由とあって、患者さんたちは次々におかわりのネタを頼み、食べる楽しみを味わっていました。療養病棟のレクリエーションの一環として、病棟スタッフと協力しながら継続していきたいです。
歯は生涯のパートナー
3月3日、世田谷区立の特養の歯科衛生士、渡辺三恵子さんを招いて、こころの広場で口腔ケア研修会を行いました。テーマは「歯は生涯のパートナー」。口腔ケアの必要性や歯周病が起こす意外なリスク、口の健康を守る知識や口腔機能を向上させる体操を学びました。20人を超える参加者は熱心に耳を傾けていました。
ローズチョコを家族に
徳間デイサービスたんぽぽでは、クレープ生地を重ねてバラに見立てた「ローズチョコ」をバレンタインに作りしました。利用者さんたちは細かい作業を分担し、熱心に生地をバラの形に整えました。完成したバラを見て「きれいね」「すてきね」「飾っておきたい」と笑顔。家族への愛を込めたプレゼントになりました。
ゆいの会でオレンジカフェ開催
ゆいの里の共同組織『ゆいの会』は昨年12月からオレンジカフェを開いています。認知症の人だけでなく、広く地域の人たちの居場所になればと思っています。初日は料理教室を開き、大勢の参加者を迎えました。開催は隔週土曜日ですが、機織りや歌など参加者の楽しみも見つかり、だんだん輪が広がってきました。
餅は高齢者の窒息事故でもっとも多く、重症化しやすい食品です。しかし、危ないとわかっていても食べたいのが"餅"。お正月にはお雑煮を食べるという習慣が確立されている国でもあります。それでは、嚥下機能や認知機能が低下した際に、餅での窒息を予防するために、みなさんは食習慣を変えますか?食べるのを諦めますか?その必要はありません‼
松本協立病院嚥下食検討チーム11人(調理科、栄養科、言語聴覚士)は、飲み込む力が低下している人でも食べられる、『ラックン餅』を開発しました。
ラックン餅は舌と上あごで潰すことができ、べた付かず、ある程度のまとまりがあり、飲み込む力が最重度に低下している人でも食べることができます。さらに、認知機能が低下している人が、見て、匂いを嗅いで、食べてお餅とわかるように何度も試作と試食を繰り返して遂に作り上げることができました。安全性については実際に飲み込みの検査を行って検証しました。
"見た目良し、味良し、飲み込み良し、栄養良し"と3拍子どころか4拍子も揃っているお餅です。患者さんからは「おいしいからもっと食べたい」という声があります。
今後はラックン餅をさらに改良し、患者さんに提供したいと考えています。いつまでも食べることが"楽しみ"となるよう、"食べる"ことを通じて、最大限に患者さんをサポトできるよう今後も活動していきたいと思います。
(松本協立病院/言語聴覚士・長嶋健介調理科)
国保44条問題ってなんですか?
国民健康保険法第44条は、「特別の理由がある」ために患者が「保険医療機関等に」「一部負担金を支払うことが困難」な場合に、保険者(市区町村)が「独自の基準」を定めて、「一部負担金の支払いの減額・免除・徴収猶予」をする措置を採ることを認めています。
長野市の場合、「基準」の問い合わせを行っても教えてくれず、申請にも消極的な姿勢でした。実際に申請を試みたケースでは、リストラ後、人に迷惑はかけたくないと貯蓄を使い、再就職に向けて生活していた男性が、いよいよ医療費に困って申請をしましたが、「基準」の「前年の所得に比べて該当する激減」とはなっていないという理由で、認められなかったケースがありました。その結果、医療費より生活費優先となり、病状を悪化させる結果となってしまいました。そもそも国保44条を知らない市町村担当者もいるという話もあります。
国保44条の適用は無低診以外の医療機関への受診も可能にします。治療中断・未治療となっている生活困窮者が、医療費の心配をせずに医療が受けられる環境をつくるためにも、運用する市町村に実態に合った「基準」の見直しや制度の周知を求めていくことが必要です。
(長野中央病院)
選挙権を得る直前で予備校通いをしていた1991年の世界は激動でした。湾岸戦争、ソ連の崩壊。政治では湾岸戦争をきっかけにPKO(国連平和維持活動)法案が国会に出され翌年成立しました。国際貢献の名のもとに専守防衛であるはずの自衛隊を海外へ派兵するものです。父が「平和憲法の危機」をしきりに訴えていたのを覚えています。その後も自民党は自衛隊の武器使用権限の拡大や駆け付け警護を可能にしようと目論み続け、ついに2015年に安保関連法が成立したことは1992年がまさに「蟻の一穴」であったことを示しています。
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この間安倍政権は特定秘密保護法で言論統制をおこない、共謀罪で思想・信条の自由を奪おうとしています。法案ひとつひとつがつながっており、それを許すことは軍国化につながっていきます。
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2016年の共同通信や毎日新聞の世論調査によると、国民の多くは集団的自衛権の行使は憲法違反だが、個別的自衛権を行使するための自衛隊は必要であり、かつ、憲法9条の改正は必要ないと考えています。ただ個別的自衛権についても、一切の戦力を持たないという憲法9条第二項に明確に矛盾するという考えもあります。
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「世界の情勢に合わない、古いので憲法を変える」のではなく、時間はかかっても、そもそも自衛隊がなくても大丈夫と国民全体が思え、憲法9条の完全実施にむけて前進できるように世の中の方を変えていくことを目指したい。
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一穴に自分の腕を入れ堤防を守ったハンス・ブリンカー※にはなれなくても、粘り強く一票一票の積み重ねで安倍政治の暴走を止める、そんな2017年にしたいと思います。
※『銀のスケート―ハンス・ブリンカーの物語』(岩波少年文庫)の中の逸話
1月28・29日、民医連の北関東甲信越・南関東地協第11回放射線拡大職責者研修会が開催されました。今年は「放射線技師として被ばく問題にどう関わっていくか」をテーマに、東日本大震災原発事故から5年10か月経った福島を視察しました。
4月1日に帰還開始予定の浪江町はじめ、双葉町、大熊町、富岡町、葉町、小名浜とバスで視察しました。
まず目に入ったのが水田の一角に陣取る除染土壌用フレキシブルコンテナ(フレコン)の山でした。至る所にある山から、除染された土壌や廃棄物の多さがうかがえます。フレコンは市町村の仮置き場で管理後、福島県内の中間貯蔵施設に移され、最終的に県外で処分すると国は説明しますが、地元住民は中間貯蔵施設が最終処分施設になるのではという思いが強いとのことでした。
他方、太陽光発電用のパネルが設置された水田用地も多くあり、原発に頼らない取り組みが特に進んだ地域になっているとのことでした。
避難指示解除準備区域を中心に帰還が進められています。帰還には水、電気、道路などインフラの復旧が不可欠です。浪江駅、富岡駅は今現在再建中でした。交通インフラの復旧で帰還しやすい環境はできますが、2011年に全町避難指示解除の広野町は町民の約40%、15年に避難解除された原発から20㎞圏内の楢葉町は約10%しか帰還していないそうです。
インフラだけでは復興はできません。被ばくによる健康被害への不安、新たなまちづくりの進め方など国や東電の責任で取り組むべき課題が山積しています。「避難解除すれば補償は打ち切り」、国は復興よりも避難者への補償費用削減のために帰還を急いでいるようにさえ感じます。
東日本大震災から6年、記憶が薄れかける中で初めて被災地を訪れ、終わらない原発事故問題を学べました。案内の国井事務長は「私たちはあまり語らない。みなさんが実際に見聞きして感じてほしい」と語りました。
私は放射線技師として、もはやコントロールできない原発が再び稼働することに強く反対し、今後も取り組んでいきたいと思います。
「越百づくり会議」は、生協総合ケアセンターいいじまの開設により、商業施設として賑わった地が活気ある地域として蘇ることを目的として作られました。会議は個人資格での参加ですが、町長が会長、議会議長が副会長など、現職の錚々たるメンバーで構成されました。地域住民も数多く参加し、100人を超える協力でスタートしました。
会議には5つの専門部会があり、皆どこかの部会に所属しています。専門部会は、①医療福祉健康部会 ②商業施設部会 ③文化交流部会 ④子育て若者部会 ⑤広報宣伝部会です。商業施設部会が中心となり、5月から11月まで月1回のペースでこすも市が開かれています。
(ケアセンターいいじま事務局長)
長野県連独自の「生活保護実態調査」は2013年、14年に続き3回目です。13年は「不正受給」を主とした生活保護バッシングが始まり、生活費に相当する生活扶助が段階的に引き下げられた最初の年でした。
調査は偏った報道による誤解を払拭し、①受給者の生活実態を明らかにする ②報道されない受給者の背景や想いなど生の声を知らせる ③調査結果をもとに生活保護をはじめとする社会保障制度の改善を求めることを目的に行われました。
最初の調査から3年、予定通り生活扶助が段階的に引き下げられ、家賃を補助する住宅扶助、冬季加算が減額されるなど、給付内容は一層厳しいものになりました。これらの影響は今回の結果に表れています。
【食事】回数を制限している人が全体の30%を占め、食事に対する満足度も前回の50%から35%に大きく減少。内容も「ご飯にマヨネーズをかけて食べる(1日3回)」「昼は水のみ」「野草を摘んで食べる」など、健康維持とかけ離れた回答が多くありました。
【生活】支給額が減った分、食費や水光熱費の支払いが精一杯で、被服、理美容、教養・娯楽費は「全くかけられない」が各々25%と前回よりもさらに増え、文化的な生活とは程遠い実態です。
【交流】地域行事に「全く参加しない」84%、冠婚葬祭も「全く参加しない」65%に増加し、地域や社会との繋がりが断たれている状況も明らかになりました。
生活保護は、困窮する国民に対し国が「健康で文化的な最低限度の生活を保障」し、「自立できること」をめざすものです。自立とは経済面だけではなく、日常生活や社会生活を自ら営めることです。
しかし調査から、厳しい制約のもとで受給者の「自立」は全く保障されず、「食事が3回食べられる、普通の生活がしたい」「乳幼児のおむつや服などを買う費用がほしい」など最低限度の生活改善を望む声や、「これ以上迷惑をかけずに死にたい」「止むを得ず生活保護を受けている人がいることをわかってほしい」など、バッシングに堪えながらの切実な声が聞かれました。
記者会見の日、神奈川県小田原市で生活保護担当職員が、「HOGO NAMENNA」「SHAT(生活・保護・悪を撲滅する・チーム)」などと書かれたジャンパーを着て保護家庭を訪問していたと報道されました(のちにグッズ製作も発覚)。威圧的行為で生存権を侵害する許せない行為ですが、「不正受給を取り締まろうとした結果」と擁護する報道もありました。
しかし、生活保護の「不正受給」は全体の2%で、「臨時の収入を申告しなかった」「高校生のバイト代を申告しなかった」など、義務を知らなかった場合がほとんどです。バッシングは盛大に報道しても、多くの受給者の生活実態や想いが報道される機会はほとんどありません。
生活保護制度は、他の社会保障制度にも影響します。生活保護の改悪は国民の生活や権利が侵害されることに繋がっています。私たちは引き続き調査を通して実状を訴え、当事者や家族、職員や支援者と連帯して、生存権に基づく生活保障と自立支援が果たされる制度が実現する日まで、取り組みを続けたいと思います。今回の調査の報告集は4月発行予定です。ぜひお読みください。
糖尿病や慢性腎不全は、食事療法が必要な疾患です。糖尿病は、規則正しく食事を摂る事が基本です。食事を抜いたり、まとめて食べたりするとインスリン分泌のパターンが乱れたり、膵臓への負担が増えます。お総菜やお弁当を購入して食べている状況では、脂質、塩分の摂り過ぎ、野菜の摂取不足となります。このような食生活習慣を続けていくと血糖値を良い状態で維持することはむずかしく、合併症の発症の危険度も高くなります。
慢性腎不全(透析治療中)は、十分なエネルギーと蛋白質の摂取が大切です。欠食や単一メニューはエネルギ不足、蛋白質不足となり低栄養に繋がります。また、リンの摂取量にも気を付けなければいけませんが、缶詰や外食にはリンが多く含まれているため高リン血症の原因となります。
体重管理が重要な透析治療では、塩分の摂り過ぎは体重増加に繋がります。
今回の調査結果では、野菜や果物は高値のため購入を控えている傾向がありますが、ビタミンやミネラルといった体の調子を整える栄養素の摂取が不足しがちになり、免疫力の低下に繋がります。また、食事の回数、量、質は、健康維持、改善ができるものとは、あまりにもかけ離れています。
(塩尻協立病院管理栄養士)
基礎データ | 昨日1日の食事内容 | 食事についてどんな 工夫をしていますか |
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年代 | 性別 | 疾患 | 朝 | 昼 | 夕 | 他 | |
40 | 女 | 糖尿病 | マカロニサラダ、酢豚、惣菜 | 仕事終わりに食事をし薬を服用。牛丼店でサラダを含むセットで安く。SEI YU(スーパー)で半額弁当買う。 | |||
40 | 男 | 高血圧 偏頭痛 膝痛 |
じゃがいも、玉ねぎ、なすの調味料で炒め物 | あるものを食べられるようにする。反貧困ネットワークでもらったもの。米だけは食いのばしてマヨネーズやしょうゆをかけて食べている。おかずはなし。1日2合を炊いて夕食で食べてしまう。 | |||
60 | 女 | 慢性腎不全 透析中 |
シーチキンにマヨネーズをかけて食べる。 | シーチキンにマヨネーズをかけて食べる。 | シーチキンにマヨネーズをかけて食べる。 | 月末におかずが足りなくなる。シーチキンにマヨネーズをかけて食べることが多い。1日何回かに分けて食べる。 | |
50 | 男 | 慢性腎臓病 透析中 |
100円のハンバーガー1個 | おにぎり1個 | 食べてない | お菓子(ポテトチップス、スナック菓子) | 1日500円で1日1回。お菓子を買っておなかを満たす。山菜、釣ってきた魚。 |
県連社保委員会は、現場の事例を可視化し発信する取り組みを強化しようと、3つのプロジェクトを発足。その一つが「子どもの貧困プロジェクト」です。
子どもの貧困問題を職員や世論にどうアピールするか議論するなかで、子どもの貧困が健康にどう影響しているか分析するために、「小児科における子どもの健康とくらしアンケート調査」を実施することになりました。
調査期間は2016年12月中旬〜17年1月末。結果はマスコミなどに公表し、長野県に子どもの窓口無料化を実現させる世論と運動を広げるきっかけになればと考えています。
(県連社保委員長)
1月25日に行われた全職種症例検討会は、「子どもの貧困」をテーマに開催しました。
まず、小児科医師・看護師、ケースワーカーが、総論、症例紹介、制度解説や現場での活動の取り組みを報告。その後、「①貧困は連鎖するのか」「②連鎖の原因は何か」「③連鎖を断ち切るために、我々医療従事者・当事者ができることは、社会や国がすべきことは何か」をテーマに、15グループに分かれてディスカッションしました。
参加者には、「身近に壮絶な貧困や虐待の症例があることに驚いた」「世代別の意見や体験が聞けて勉強になった」と好評でした。「貧困とは経済的な面だけでなく、教育の機会、他者との繋がり、当たり前の生活上の体験を通した学びの乏しい状態をさし、背景には疾患が大きな影響を与えている場合も多い。困り事を発信しにくい当事者に関わる医療従事者が気づくことで支援につながる」という感想も出されました。
(症例検討会事務局)
松本協立病院総務課では部会で「憲法café」の学習を行っています。まず要点を説明し、文中の「ワイマール憲法」「アベノミクス」などの中身を、事前に準備した資料で詳しく解説します。
話し合いの中で改憲に賛成・反対を問うと、なんと!全員が賛成。理由は「文字が古く読みにくい」...でも「中身は変える必要なし」が結論でした。単純に賛成か反対か問うとこうなります。ここからも政府の国民だましを学ぶ事ができます。オスプレイは墜落?不時着?」について話し合うと、メディア操作の話にも繋がります。
時に脱線しながらガヤガヤ話すと楽しく学習できます。次回からはペアを組んで交代でチューターを務める予定です。
無病息災を願って
老健はやしの杜で、1月13日にどんど焼きを行いました。11時に施設医師、施設長、事務長の手で点火。瞬く間に数メートルの火柱が上がり、利用者さんから歓声が沸きました。6升の切り餅をその火で焼き、無病息災を願ってみんなで食べました。ボランティアのみなさんには前日準備から当日までお世話になりました。
高校生の熱演に喝采!
1月21日、伊那北高校演劇部がケアセンターいなで、『ヘンゼルとグレーテル』を上演してくれました。利用者さんからは「心が温かくなった。一生の宝物」との声。介護施設での上演は初めてという生徒さんは「新しい経験で学んだことを今後の活動に生かしていきたい」と話してくれました。楽しいひと時でした。
日帰り温泉でまちかど健康チェック
東信医療生協の6つの支部は、職場の協力も得ながら地域の6か所の日帰り温泉で月1回「まちかど健康チェック」行っています。内容は血圧測定と体組成チェックで、1回約20人がチェック受けています。長年続けているので館内放送をしてくれたり、無料で入浴させてくれる施設もあるなど、定着しています。
好評!街なか健康チェック
1月23日、塩尻協立病院の職員が、市民交流センターえんぱーくで「街なか健康チェック」を行いました。病院からは看護師、薬剤師、管理栄養士、事務職員が参加しました。23人が訪れ、骨密度測定や血圧測定、薬や食事の相談を行いました。好評につき次回の計画も進んでいます。
書初めに笑顔
特養和音で1月2日に書初めをしました。12人が参加し、無言でサラサラと筆を運ぶ人、「何て書こうか...」と相談しながらゆっくり書く人など、思い思いの作品を仕上げました。書き上げたあとは鑑賞会。「すごいね〜」「上手いね!」と大きな歓声が上がりました。笑顔がこぼれる、和やかな初春のひとときでした。
地域連絡会学運交ひらかれる
1月28日、第11回長野地域連絡会学術運動交流集会が行われました。組合員16人を含む163人が参加し、多くの職場から、業務での研究や工夫の事例など43演題が発表されました。「他職場の発表を聞き、自分の職場でも生かしたいと感じた」などの感想が寄せられました。
健和会病院リハビリテーション科の福村直毅医師と福村弘子摂食・嚥下障害看護認定看護師が開発した、嚥下障害患者用の枕「ふたこぶラックン」(税込1万2000円)が話題です。1月5日には新聞4社とテレビ関係4社が集まり、記者会見を行いました。
日本人の死因の第3位は肺炎です。その多くは、細菌が唾液や胃液と共に肺に流れ込んで起きる誤嚥性肺炎によるものです。これを防ぐために、安全な姿勢で食事をする事を基本にした側臥位での姿勢があります。これまでは枕の代わりにバスタオルをまるめたものを使用していましたが、食事の度にバスタオルを使うのは効率が悪く、高さ調節もむずかしいので手間取っていました。
そこで、嚥下障害治療を広めている福村医師らが飯田市内で医療機器の開発に力を入れている企業と連携して、「こんな枕があったらいいな」という『ふたこぶラックン』という製品を作りました。健和会病院の病棟でも使っていて、食事介助に関わる看護師やST(言語聴覚士)から「頭の下にセットするだけなので、簡単で時間もとられず使いやすい」との声があがっています。また、使用方法が簡単なので、在宅で介護をしている家族にもすすめています。
(健和会病院)
ロコモティブシンドロームとはどんなものでしょう?
ロコモティブシンドローム(以下ロコモ)は、和訳すると「運動器症候群」となります。
運動器(筋肉や関節、骨、神経などの総称)の働きが衰えることにより、移動する能力が低下し近い将来「要介護」になるリスクが高い状態のことをいいます。
加齢とともに筋力や骨の強度は低下しますが、特に下半身の筋肉は衰えやすいため歩く・立つといった移動する能力に大きな影響を及ぼします。
運動習慣のない人や活動量の低い人は一層運動器が衰えやすく、関節の痛みが出たり転倒のしやすさ、疲れやすさがみられます。そのためさらに運動する機会が減り、運動器が衰え、そして、また健康状態が悪化し...と、負の連鎖が生じてしまい、ついには要介護や寝たきり状態になってしまいます。
今、人類は経験したことのない超高齢社会を迎えようとしています。この未来を見据え、2007年に日本整形外科学会が提唱したのがロコモという概念でした。ロコモ並びにその予備軍は全国で4700万人もいるといわれていますが、その怖さについて知らない人が多いのが現状です。
よく耳にするメタボリックシンドロームや認知症と並び、ロコモは「要介護」や「寝たきり」の三大要因の一つです。いつまでも自分の足で歩き続けるためにメタボと同様にロコモが国民病であると知ることが重要です。
(諏訪共立病院・PT)
最近、テレビCMでよく見る『アパホテル』の各部屋に第2次世界大戦中に日本軍が行った「南京大虐殺」や「慰安婦強制連行」などはなかったと主張する書籍がおかれていて、中国や韓国の人からは不買(アパホテルを使わない)運動が起こっているとニュースが流れています。
「南京大虐殺」という言葉は戦争の恐ろしさをこの上なく感じさせ、戦争は人間を狂気へ駆り立てるという最たる証ではないかと思います。私たちはそのような事を二度と繰り返してはいけないと憲法9条を持ちました。しかし、いつの時代にも人びとの暮らしはそっちのけで戦争で一儲けしようと画策する勢力があります。
かなり前の話ですが、アメリカの兵士としてベトナム戦争を体験したアレン・ネルソンさんが飯田へ来て講演をしてくれたことがあります。自分の辛い体験を元に戦争は良いことは一つもない、絶対にだめ、というお話でした。その中で「日本の皆さんには憲法9条があるからいいですね。戦争をしなくて済む」と言われました。会場から「憲法9条を変えようとする力は常に働いており、今9条があり日本が平和でいられるのはそういう勢力から憲法9条を必死で守ってきた人たちがいるからだ」と発言された人がいました。その言葉は私の胸にずーんと入り込み、自分も憲法9条を守る人になりたいと強く思いました。
一昨年から約1年、ゆいの里職員で「戦争法反対」の辻立ちをしました。最初はぎこちなかったですが、回を重ねるごとに『この看板を見て!!賛同してください!!一緒に声をあげましょう!!』と気持ちを発信できるようになりました。【間違いだと思うなら声を上げることを忘れてはならない】これからも働く仲間みんなで声を上げ続け、世界の宝「憲法9条」を守って行きたいと思います。
長野県民医連女性医師の会は、普段は学習と交流を主に活動しています。しかし、「戦争法」が国会に提出されると、医師として、あるいは女性として・母として、反対の思いが各々の医師に湧きあがり、各地で反対行動の集会やデモに参加していました。
「戦争法」は成立してしまいましたが、現実に発効させないため、まだまだ戦いは続いています。その運動を進めていく中で、きちんと学習しないと反対を訴えることができない、との思いが強くなり、1月14日、学習会「安保関連法制施行後のゆくえ―緊急事態条項と日本国憲法」を開催しました。
講師をお願いしたのは、長野市在住の弁護士、岡田和枝さん。3人のお子さんを育てながら活動されているとのことでした。
今回の講演では、国家権力=「ライオン」を暴れさせないための「檻」が日本国憲法である、という例えから、憲法が制限しているのは国家権力の勝手な行動である、ということをわかりやすくお話して頂きました。檻がしっかりしていればその存在が意識されることはなく、檻が壊されそうになってその重要性に気付く、というお話もありました。
今まさに、檻が壊されようとしており、それを防ぐため、私たち一人一人が、小さくてもできることから始めよう、との訴えが身に染みました。
今回、女性医師の会のメンバーだけでお話を聞くのはもったいないと、他職種の皆さんや地域の「ママの会」にも呼びかけ、さらに長野中央病院を主会場として、Big Padシステムで松本・諏訪・飯田からの参加も呼びかけました。主会場で60人、全体で76人もの参加で企画としては成功したと思います。
今後は、「戦争法」に反対する活動を続けていくのと同時に、女性が抱える他の問題についても学習する機会を持ちたいと考えています。
「労協ながの」は上田生協診療所で、民医連の事業所としては珍しい当直業務(宿直・日直業務)を男性職員が行っています。また、配食及び定期便の業務も行い、定期便では、川西と坂城の両診療所へ検体を届ける業務も行っています。
上田生協診療所とは、「労協ながの」の前身の「長野中高年雇用福祉事業団」の頃から業務委託し、つながりの深さを感じています。
私たちは、民医連のSОSネットワークの活動にもつながり、県下で子ども食堂に取り組んだり、上田地域のフードドライブに参加するなど、居場所づくり・食糧支援に取り組んでいます。
上田生協診療所でも、職員食堂・組合員食堂(子ども食堂の職員・組合員バージョン)など、民医連、労協ながののお互いの組合員に向けた、食を通じた交流の場づくりを一緒にできたらと思っています。
(労協ながの)
昨年の12月9日、赤砂を会場に、「特養あずみの里・裁判から学ぶ会」が木嶋日出夫弁護団長を講師に招いて行われました。主催は赤砂の介護職員で組織された赤砂介護委員会です。
「この裁判の結果によって、今後の介護医療の委縮を招きかねない。どうしても無罪を勝ち取ろう」と、多くの赤砂介護委員から声があがり企画しました。内容は、木嶋弁護団長に裁判の経過と今後の流れを説明してもらい、支援の輪を広げようというものです。当日は約90人が参加しました。「大変だったのは、木嶋弁護士のアポとりと、あずみの里の職員にも来てほしいのでその連絡。参加者を集約するために、病院や共立福祉会の各事業所に直接足を運んでチラシを配ったりする事でした。でも、あずみの里裁判は、他人事ではなく、今後向き合っていかなければならないこと」と語るのは、清水安土さん。
林勇次さんはこう話します。「僕は4年目ですが、県連の会議などで外に出る機会が増えると、いろいろな情報が入ってきます。聞いた僕たちがどんどん発信していかなければいけないなというのが、共通の思いだと思います。毎日の業務でこんなに頑張っているのにと思う職員は多い。介護を良くしたい!国の制度を変えたい!その想いからです」 篠原拓海さんは、「この仕事が好きなので仕事に関わる大事な事は、一つ一つ自分で調べて、そこに関わりたいという意欲があります。関わって、あずみの里裁判は他人事じゃないという事に気づきました」と言います。
赤砂介護委員会の発足は2013年。当時、職員は他の部署のことをまったく知らないという実態でした。そこで、お互いの事業所を知ろう!と介護部集会を開きました。その後、この集まりが赤砂介護委員会となりました。
この間、各職場の情報共有、介護職が楽しめる場を作る、介護職が主体となった学習の場をつくるなど、独自でスキルアップできるシステムづくりを目標として運営してきました。
赤砂独自の学習会も企画し、これまでに「認知症」「腰痛予防」「レクリエーション」「情勢学習会」などを行いました。今年度は、管理部の許可も得て介護職の育成評価シート(育成マニュアル)を作り、各部署で10月から導入、運用されています。
現在、南信勤医協で介護職の委員会は存在しません。法人の介護職が70人を超え、介護職の専門性・立場というものを、明確にする時期が来ていますが、先行して介護職主体の赤砂介護委員会を青年職員が作り上げました。それが介護職員の自発性向上に繋がり職場を活性化させています。青年職員が元気な職場、そういう意味では赤砂介護職の組織化はその一つのモデルになるのではないでしょうか。
他にも赤砂社保委員会、青年平和委員会、赤砂JBなど、青年職員が活発に関わる委員会が存在します。
法人青年平和委員会には赤砂からも代表者が参加。9・9行動では、諏訪共立病院では風船を飛ばしますが、赤砂では9本の花の苗を植える独自の活動もしています。
青年平和委員会赤砂代表の岩下功一さんは、「ここに就職するまでは平和や政治なんて関係なく生きてきました。この法人に入って平和を考えさせられたときに、身の回りはもちろんですが、日本や世界が平和じゃなければ自分たちは仕事ができないなと思いました。また、人によって平和である・ないの意見は違っても、まず考えてもらうという事が大事だと思いました」と、常に平和の風を送り続け、青年職員を刺激しています。
赤砂JBは諏訪共立病院JBとは別に、各職場の代表が集まり月1回会議を開いています。パウンドケーキ、スイートポテトなどを作って財政活動をしています。昨年7月に「JBカフェ」を開催、ケーキやお茶を楽しみながら学習をしました。30人程が集まり、民医連総会のDVDを20分程観て、KJ法で話し合いました。民医連の理念・方針を勉強することで日頃の介護活動の質の向上につなげています。
赤砂社保委員会では開設からフィールドワークを計画し、満蒙開拓平和記念館、松代大本営、無言館に行きました。15年には沖縄の辺野古を題材にした「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」の上映会を赤砂で開催。地域の方にも参加してもらおうとチケットを販売し、新聞にも告知しました。1日2回上映で延べ70人が鑑賞してくれました。
「この企画にはJBもコーヒーとクッキーを販売する財政活動で参加しました。赤砂職員は委員を重複している人も多いので、分担はしてもみんなが企画に参加してくれる。これもケアセンター赤砂の強みです」と、福田香奈さんは話します。
昨年は赤砂で御柱祭を成功させました。青年職員主体の実行委員会を立ち上げ、利用者さんへの呼びかけはもちろん、祭りの内容、安全面や工夫も一から作り上げました。当日は利用者、家族含めて総勢150人が参加。地域の木遣り衆・消防団のラッパ隊も加勢し、利用者さんに本格的な祭りを楽しんでもらいました。祭り実行委員は、皆が当事者意識を持てるように毎年選び直しています。今年は18歳の職員も加わり、若いパワーが炸裂しました。
そして、忘れてならないのが赤砂太鼓!
はじめは赤砂祭りのメーンイベントに太鼓をやろうと話が持ち上がりました。そして、「プロではなく、自分達で演奏して利用者さんに聴いてもらおう」と、太鼓を貸りて練習が始まりました。勤務の休憩時間を練習に充て、休日には山の上で練習した事もあります。赤砂太鼓はその後、県民集会や共同組織交流集会、最後には長野県民医連40周年記念式典にも招かれました。
「利用者さんの笑顔のために」で始まった赤砂太鼓。篠原拓海さんは話します。「職員の団結力というか、絆が一気に強まった気がします」と。
「まったく知らん顔ではなく、良い感じで介入してくれます。深すぎず浅すぎず。若者が自由に活動を展開しやすい環境ですね」と清水安土さん。指示ではなく、どういう事をしたいかを導き出してくれる管理部に対してのコメントです。「管理部が強く出てくると、やらされ感が出てくる。管理部は委員会などを管理しているけれど、実際の運営は委員なので〝見守り軽介助〞くらいな感じ(笑)。自由だけど、アドバイスもしてくれます」と皆、口を揃えて話します。
そういう管理部に見守られながら、仲間と一緒に考えて、とにかく何でも主体的にやってみることが、赤砂青年職員のパワーの素。絆を深めつつ、その楽しさがどんどん広がる2017年になりそうです。
(取材・構成/編集委員 古池 智)
通いサービスはるかぜ施設長、介護福祉士、民医連歴9年目/赤砂介護員会委員長
老健すずかぜ介護福祉士、6年目/青年平和委員、社保委員
老健すずかぜ介護福祉士、4年目/赤砂JB委員、組合青年部員、県連青年部員
法人付諏訪共立地域連携相談センターMSW、8年目/赤砂社保委員、赤砂JB委員
小規模多機能ケアぬくもり介護福祉士、4年目/赤砂JB委員、組合青年部員、県連若介委員長
諏訪共立病院を本体とした介護複合施設。老健すずかぜ・老健すずかぜ通所リハ・小規模多機能ケアぬくもり・ショートステイひまわりの家・認知症対応型通いサービスはるかぜ。2013年開所。職員数約60人。
いま沖縄では普天間基地の辺野古移設問題に加え、東村高江にオスプレイも飛来予定のヘリパット建設が国により強行されています。しかし、こういった沖縄の現状を本土のマスコミではまったく報道されません。
そこで、少しでも情報を身近なものにして共有しようと、塩尻協立病院では沖縄の地方紙「琉球新報」の定期購読を始めました。特徴的な記事は職員学習資料として使いながら、外来待合の新聞コーナーに毎日設置しています(写真)。地域の方々にも少しでも関心を高めてもらえればと願っています。
(塩尻協立病院事務次長)
2007年から発行をはじめた「Peace9」は16年3月、記念すべき100号を迎え、現在は109号を準備中です。職員の平和への思いが綴られたこのニュースは決して派手ではありません。けれども、続けることで平和を願い、『9条を守ろう』という気持ちが広がっていくことを実感しています。
発行を始めた当時から、平和と憲法をめぐる情勢は、私たちが少しでも気持ちを緩めたら戦争できる国へ一直線の危険な状況です。こういう状況で、学び、発信し続けることは大切なことだと思います。私達、Peace9編集部はこれからも、院内の皆さんの平和への思いをつなげ、学びの一助となるよう「Peace9」を作り続けていきたいと思います。いつか必要ではなくなる日をめざして。
(松本協立病院「Peace9」編集委員)
里山辺地下壕見学と事前学習(右) |
〔生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務〕
第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
「憲法を学ぶ大運動に全職員で取り組む」ため、上伊那生協病院では憲法学習推進担当事務局として『憲法会議』を設置、2015年春から活動しています。
キックオフ企画としての木嶋日出夫弁護士学習講演会、憲法アンケート、職場学習のための資料の作成(人権・戦争法案など)、ニュース「憲法主義」の発行、映画「ひまわり」上映会、沖縄学習旅行、安保法制の廃棄を求める意見広告、フェイスブックによる情報発信など、活動してきました。同時に、法人社保委員会と連携し、憲法を守る取組み(各種集会・スタンディング・署名活動など)を組織してきました。
憲法改正論議が本格化する中、全日本民医連の「憲法カフェ」を活用し、具体的事例を通して人権・改憲問題を考える各職場学習会をスタート。職員一人ひとりが「憲法の守りびと」となれるような学習に継続して取組んでいきます。
(上伊那生協病院「憲法会議」委員)
11月9日早朝、スタンディング100回目に100人でアピールしようという取り組みが行われました。私は病棟業務前の午前7時から立ち、本日1人目のスタンディング参加者となりました。
今回の取り組みにあたり、病棟スタッフに、忙しい中無理を承知で参加を呼びかけました。参加することで平和について、どんなことでも良いから何か感じてほしいという思いからです。休みなのにわざわざ駆けつけてくれたり、仕事の合間をぬって寒い中参加してくれるなど、2西病棟メンバー全員が参加してくれました。心から感謝して、戦争法反対へこれからも一緒に頑張りたいと思います。
(松本協立病院2西病棟師長)
1人目の参加者に! | 100人目は鈴木直美医師(左端) |
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2016年8月から、食費・部屋代の利用者負担段階(負担限度額)の判定で、新たに非課税年金(遺族年金・障害者年金)が年金収入に含まれることになりました。それにより、住民税非課税であっても、非課税年金収入額との合計が年80万円を超えると、負担限度額が第二段階から第三段階に切り下げられることになりました。
はやしの杜の特養では、8人のうち4人が、老健では、30人のうち13人がそれぞれ第2段階から第3段階へ切り下げられ、負担額は多い人で2万3250円の増額となります。
これまでと比べ1.78倍の利用料に苦しむ人がいるなど、改悪の影響を受けている状況です。
(社会福祉法人林の杜副事務長)
「貧困問題は小児科医が取り組むべきテーマ」という認識が、いま大きく広がっています。12月4日、東京大学鉄門記念堂で、『第2回貧困と子どもの健康シンポジウム』が行われ、パネリストに松本協立病院の酒井慧医師、シンポジストに健和会病院の和田浩医師が参加しました。
酒井医師は、「米国小児科学会の提言を読む」と題して「貧困は生涯にわたり子どもの健康・幸福に悪影響を及ぼす。貧困を社会全体の問題として捉え、解決に向けた取り組みが必要」と発言しました。
和田医師は、「医療現場では貧困は見えにくく、医師一人で把握するのはむずかしいが、他職種とカンファレンス行い情報を共有することで見えてくる。当事者はなかなか声をあげることができないので、近くにいる私たちが代わって声をあげなくてはいけない」と提案しました。
ベテランから若手医師、医学生約180人が参加して、熱心に意見交換を行いました。
(県連事務局)
シンポジストに和田医師が参加(左端) | パネリストの酒井医師(右) |
上田訪問看護ステーションの事例から、状態が悪化して再入院する患者さんが半数以上占めている現状があります。
終末期を自宅で過ごしたいという高齢者の割合は半数以上ありますが、現状は介護不足や介護申請がなされないことや緩和ケアが確立していないなどとともに、十分な病状説明がなされていなかったりと受け入れの準備不足が現状です。
だれもが等しく医療、介護が受けられるためには、医師をはじめ看護や介護スタッフのマンパワーや切れ目ない公的サービス提供のための連携が必要です。
国の政策によって格差社会拡大による現状では、医療や介護難民であふれ、死に場所さえない死亡難民も増大する大変な社会になることを危惧します。憲法にのっとった、人権(生存権)への大きな運動の必要性を痛感します。
(上田訪問看護ステーション所長)
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
長野市内の急性期病院へ救急搬送された69歳男性。問診の中で独居である事、入院時に保証人となれる親族がいないという事で、入院を受けられないと判断、長野中央病医院に加療の相談がきました。
男性は現在も入院中ですが、暴言が多く、救急搬送先の対応への怒りもあって治療が出来難い状態もありましたが、ADLの回復を見て退院の方向です。相談活動の中で、国保に加入していて、ケアマネジャーが金銭管理を行っている事がわかり、退院後も続けてくれる事となりました。
本来患者を救うはずの病院が、支払い能力や家族背景で患者を選ぶ現状。今の社会状況を考えればこのようなケースが増々増えてくるのではないかと危惧します。最後の砦である民医連の理念を改めて意識させられた事例でした。
(長野中央病院医療福祉相談室長)
現在、高次脳機能障害の患者さんの社会復帰が困難な状況にあります。
50代の女性Aさんは、息子との2人暮らしで家計の多くを担っていました。クモ膜下出血を発症後当院にリハビリ目的で入院し、入院中は高次脳機能障害により「午前中の事を午後には忘れる。自分がどこにいるかわからない」状態でした。
しかし、電話対応の練習や、ドライブシュミレーター訓練で自信をつけ、社会復帰可能となりました。会社との面接やリハビリ出勤を重ね、Aさんは会社の援助を受けながら勤務を開始し、現在はフルタイムで働いています。
Aさんは社会復帰できましたが、こうした企業や職場の理解が得られないのが現状です。障害をもっても安心して働ける社会をめざして、引き続き運動していきたいと思います。
(健和会病院MSW)
長野地域連絡会では「病院の中にいるだけでは、住民の命と健康は守れない」と、2007年から月に1回「気になる患者訪問」を行っています。各職場から寄せられた「気になる」事例を基に、職員が患者宅を訪問しています。
Aさんは糖尿病があり、冠動脈形成の術後、3回の受診をした以降、通院しなくなりました。昨年7月に訪問すると、「自覚症状がないから受診しない。24時間営業のマンガ喫茶の店長なので、バイトの人が休むと自分が入るため予約日に行かれない」という事情でした。その後11月にも訪問しましたが、状況は変りませんでした。薬もインシュリンも切れており、深刻な事態になることは明らかです。
どうしたら治療を継続してもらえるか事務局で話し合い、手紙を書くことにしました。検査結果から見る受診の重要性、時間がなければ自宅に近い病院を紹介できること、医療費が不安なら使える制度がないか相談員が一緒に考えるなど、サポートすることを伝えました。
訪問を続けてはいますが、孤独死の事例もあり、力不足を痛感することもあります。誰もが安心して医療や介護が受けられる社会保障の充実を求める活動を進めるとともに、「気になる患者訪問」をこれからも続けていきます。
(長野地域連絡会社保委員会事務局)
〔憲法尊重擁護の義務〕
第99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
12月1日、南信勤労者医療協会として2か所目の小規模多機能型居宅介護の「小規模多機能ケアやよい」が開所となりました。定員は登録29人、通い1日18人、泊まり6人です。
「やよい」は、住宅地の中の古民家を改修して作られました。こぢんまりとした空間ですが、家庭的な環境を大事にしながら、利用者さんが住み慣れた自宅で安心して生活できるよう支えていきます。近隣の皆さんとの交流の場としても地域の方々に愛される事業所をめざします。
(小規模多機能ケアやよい施設長)
介護の仕事に就いた時の気持ちを忘れず、利用者さんの気持ちに寄り添う介護を貫く!今年は就職して10年。初心を貫き利用者さんが元気に生活できる様にサポートしていきます。
楽に生きたい!
昨年は公私ともども激動の年であったので、今年は穏便な時を過ごしたいと思っています。
今までの習慣や考え方を脱ぎ捨て自分の殻を破る、そんな変化のある年にしたいという思いを込めてこの字にしました。その先には一歩進んだ毎日が待っていると思っています。
具志堅 進院長を先頭に、私達みんなで常に進化しながら前に前に進んで行きたい。リニューアル工事も順調に進んでいます。
心は丸く、仕事も丸く、家庭も丸く、性格も丸く、全てが丸く収まるようにしたい。体は丸くならなくても良いかな?
子どもの健康の種を蒔く事をしていきたい。
1年目の頃を振り返りながら『初心忘れべからず』をモットーに日々精進していきます!
ひとつの目標を確実に達成する。そしてまた次の目標へと繋いでいく。こうしてひとつひとつの目標の達成を大切にしながら前へ進んでいきたいという思いを込めました。
2016年はやりたいことに猿(エン)ジン全開でしたが、余裕がなかったように思います。2017年は新しいことに挑戦しつつ、大きな心と広い視野でゆトリをもちたいです。
今年は酉年なので、おおいに羽ばたいて仕事や趣味をして行きたいと思います。
介護職としてこの仕事を全うしたい夢と、教育の分野にも携わっていきたいとこちらも10年以上抱いていた夢が今年叶いました。現実は楽ではありませんが大変楽しんでいます。
松本山雅FCの『雅』。2017年もホーム戦、全試合応援を目標に頑張ります。また仕事も私生活も雅にとは言いませんが、良い意味で余裕をもって邁進していきたいと思います。
3度の食事よりサッカー観戦が好きで、大好きな長野パルセイロが、今年こそJ2に昇格できますように・・願いを込めて!
昨年は休暇や仕事で国内を移動する機会が多かった一年でした。その中で、海外で働く人との出会いや、学会発表などとても良い経験となりました。今年は、海外旅行や病院外での活動に取り組む一年にしたいと思いました。
医局事務に席を置いて早や1年。何事に対しても挑戦していく決意を込めて「挑む」としました。
患者さんの事はもちろんですが、病院での業務に対しても先を見通して行動していければと思います。また、病院での業務以外で私生活でも先を見通して行動していければいと思います。
何かをする際にすごく緊張しやすいので、来年はメンタルを強くし冷静に行動できるようにしたいです!!
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