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長野県民主医療機関連合会

アクセスマップ

〒390-0803
長野県松本市元町2-9-11
民医連会館2F
TEL.0263-36-1390
FAX.0263-33-1229

機関紙:長野県民医連

第242号 2010.08.25

語り継ごう戦争の記憶

終戦から65年目の夏が来ました。国民投票法が成立した今年、憲法9条がいかに戦争の抑止力となっているかを実感します。「戦争は嫌だ」の思いを体験者から学び、平和を守る力にと、松本歯科大学名誉教授で「九条の会・医療者の会」の呼びかけ人でもある笠原浩さんに戦争体験記をお願いしました。

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笠原 浩(かさはら ひろし)さんの略歴

1937年群馬県生まれ。東京医科歯科大卒。63年代々木病院歯科口腔外科医長。75年から松本歯科大学に勤務し、82年に障害者歯科学講座初代主任教授に就任。同大大学病院長、同大衛生学院学院長、ロンドン大学客員教授、松本歯科大学ロンドン・クリニック所長、同大総合歯科医学研究所教授、同大学新宿クリニック所長などを歴任。元、長野県医療審議会会長。『こどもの歯』(新日本新書)、『入れ歯の文化史』(文春新書)、『在宅歯科診療のノウハウ』(松本歯科大学出版会)、『ピンピンコロリ七つの秘訣』(大月書店)など著書多数。現在、松本歯科大学名誉教授、特任教授。

犠牲になったのは子どもや女性、お年寄りたち

私は1937年生まれで、65年前に戦争が終わったときには小学校(当時は国民学校と呼んでいました)3年生でした。本土空襲を明確に記憶に留めている最後の世代の一人です。
新聞やラジオでは「大本営発表」として虚偽の大戦果が毎日のように報じられてはいましたが、サイパン島の守備隊が全滅してからは、そこから飛び立った巨大なB29爆撃機が日本中の都市に焼夷弾をまき散らし、東京も大阪も焼け野原となってしまいました。 たとえば、3月10日の東京大空襲では、たった1晩で10万人を超える一般住民が焼き殺されたのです。犠牲者の大半は、成人男性が戦場に駆り出された後に残された子どもや女性、お年寄りたちでした。
大都市が廃墟と化すと、地方の中小都市にも攻撃の矛先が向けられました。沖縄が失陥してからは、迎撃すべき日本軍戦闘機の姿も見られなくなり、白昼の空をわがもの顔に乱舞する敵機を歯を食いしばって見ていた記憶があります。
私が住んでいたのは群馬県の赤城山麓の田舎でしたが、すぐ隣りの織物工場ぐらいで軍需産業とはまったく無関係な町も夜間空襲で焼かれ、大勢の人が殺されました。開業歯科医の父親を徴兵されて、若い母親と幼い妹だけの家庭では、お粗末な素掘りの防空壕のなかで震えているしかなかったのです。

開業医も戦場へ

かつての大日本帝国には「徴兵制」がありました。職業軍人ではない一般市民でも、国の命令で兵士として戦場に赴くことが義務だったのです。「○月○日に○○師団司令部に出頭せよ」という「召集令状(赤紙)」が届けられれば、仕事や家庭の事情がどうであろうとも否応なしに従わなければなりません。私の父親は「支那事変」「満州事変」「大東亜戦争」と、3度もヒラの兵隊として召集されました。開業医が大事な患者さんを放り出しても兵役に就かなければならないことの困難さは、医療従事者なら分かっていただけるでしょう。
幸せなことに、私の父親は敗戦後1年ほどで中国から生きて還ってくれましたが、二度と父親の顔を見ることができなかった子は、級友たちのなかにも少なくはなかったのです。

食糧難と栄養失調

もうひとつの切実な記憶は、育ち盛りの胃袋を直撃した食糧難でした。「痛烈に腹が減る」という体験は、現代の若い人たちには容易には想像できないでしょうが、戦時中とそれに続く戦後の混乱期の食糧難は実に恐るべきものだったのです。大都市では親を失った戦争孤児たちが次々と餓死していました。
私も栄養失調寸前で、コウリャン、イモのつる、コンニャクの粉、ヒエ、野草、その他、口に入るものはなんでも食べました。イナゴやドジョウなどは大切な蛋白源でした。好き嫌いのない私ですが、カボチャは今でもあまり食べたくはありません。うら成りのまずいカボチャをご飯代わりに毎日食べさせられたからです。

戦争を肌身で知っている最後の世代として

「このような酷い体験を、自分の子どもたちの世代に繰り返させることがあってはならない」というのが、私の反戦への情念の出発点であるように思います。60年安保改定反対の学生運動、民医連歯科の立ち上げに奮闘した10数年にわたる日々、「9条の会・医療者の会」の呼びかけ人などと、それなりに平和運動には関わってきたつもりですが、「戦争を肌身で知っている最後の世代」として、さらにお役に立てる機会をと願っています。

知事選を振り返って

松本たけしさん健闘

6月初めに「県民の会」で松本たけし氏支援を決めてから2か月間。さまざまな形で松本たけし新知事誕生へ努力された職員、共同組織のみなさんに感謝申しあげます。
共同組織のみなさんと対話する前に、「私たち自身がよく分かっていないと...」とわくわく信州発行のチラシを読みあった職場。「候補者カーが事業所前で街頭演説をする」と前週から宣伝し聴衆を組織した事業所。初めて電話で「松本さんを新知事に!」とお願いした職員。県民の生活目線で県政を考える知事誕生を願ったみなさんの努力を結果に結びつけることができず、残念に思います。
選挙は終わりましたが、私たちが綱領で掲げる「憲法の理念を実現する」とりくみは続きます。9月からは「共同組織強化月間」が始まります。運動を共に進めていく大きな組織をつくり、パワーアップした運動に取り組めるようにしましょう。
(県連事務局長・岩須 靖弘)

訃 報

老人保健施設はびろの里所長
中村 實郎 医師

老人保健施設はびろの里所長 中村 實郎 医師

7月9日逝去。83歳。
中村医師は広島県の出身。東京医科大学を卒業後、東京都中野区に中村診療所を開業。長年にわたり保健医協会の役員(東京・全国)を務められました。93年から諏訪共立病院、つるみね診療所に非常勤勤務され、2000年4月老人保健施設はびろの里の開設と同時に施設長を務められました。
被爆直後の広島に救援活動に入り被爆された経験から、若い職員に原爆の恐ろしさと平和の尊さを教えていただきました。
ご冥福をお祈りいたします。

原水禁世界大会ひらかれる

世界の皆さん、不信と脅威に満ちた「核兵器のある世界」か、信頼と協力にもとづく「核兵器のない世界」か、それを選ぶのは私たちです。 (平成22年長崎平和宣言より)

イメージ
▲平和行進も到着
原

爆投下から65年。今年の原水爆禁止世界大会には国連のトップとして初めて潘基文(パン・ギムン)事務総長がメッセージを寄せました。また、広島市主催の平和記念式典にもアメリカ駐日大使と共に初めて参列しました。長野県連からは職員・共同組織の方々42人が、8月4日~6日の開会総会・分散会・分科会、閉会総会に参加しました。


参加者の声

被爆体験を後世に伝えるのが私たちの役割

塩尻協立病院 看護師/藤村さん

原水爆禁止世界大会

私は初めて広島を訪れました。大会にはさまざまな国の代表者の参加もみられ、原水爆禁止世界大会の世界規模での取り組みを実感しました。
大会の中で、実際に被爆された方の話を聞く機会がありましたが、その一声一声には本当に重みがあり、8月6日の原爆投下の日に広島を地を訪れ・同じ空の下に立ち、被爆者の方々の被爆の瞬間やその後の思いを想像するだけで涙が出そうになりました。やはり、自分で見て・感じることは大切で貴重な体験でした。
被爆者の方々の高齢化によって原爆の実際を知る人が少なくなってきている今、私たちには後世に伝えるという重要な役割があります。ほんのひとつまみのカケラでも伝えて、あの過ちを・悲しみを二度と繰り返してはいけない、と強く思いました。
(写真・前列右)


65年前のあの日を思うと...

老健はびろの里 介護士/内川さん

はびろの里代表として原水禁世界大会へ参加

私ははびろの里代表として原水禁世界大会へ参加しました。夜行バスに揺られながら早朝に広島市内へ到着。広島は快晴、気温36度前後の猛暑でした。
65年前のこのような暑さだったのでしょう。今、自分がいるこの場所で65年前に原爆の投下により何もかもが焼かれ、地獄のような光景が現実にあったのかと思うと何とも言えない気持ちになりました。平和記念資料館では、焼かれた服、変形したビン、放射線を浴び皮膚がただれた写真や映像など、夢ではない現実がそこにはありました。改めて戦争の恐ろしさ原爆の脅威を知るのと同時に、核兵器根絶のための署名や活動の大切さを実感しました。
今回の記念式典に被爆65年にして初めて国連総長・米駐日大使が参列するということで、緊迫する式典でした。2010年8月6日8時15分、広島の地で黙とうを行い65年前の悲惨な出来事を2度と起こしてはいけなと思いました。この世界から1日でも早く核兵器がなくなり平和な世界になることを願います。この大会に参加でき命の大切さ尊さを改めて実感する事ができました。


子どもの貧困を考えるシンポジウム

~夢さえ見られない、子どもたち~「子どもの発達・成長は、社会の責任で!」9月23日開催!

イラスト

長野県内での子どもを取り巻く「貧困」の現状、子どもたちを守るための先進的なとりくみの事例や打開策などの情報を共有し、私たちにできることを学びあいましょう。

【日時】9月23日(秋分の日)午後1時30分~4時30分
【会場】松本勤労者福祉センター
【内容】基調報告「子どもの貧困について」長野県弁護士会・村上晃さん

パネルディスカッション
コーディネーター/長野大学准教授 久保木匡介さん
パネリストに、健和会病院の和田浩副院長、諏訪共立病院MSWの鮎沢ゆかりさんが参加します。

【共催】反貧困ネットワーク信州、生活底上げ実現長野県連絡会、長野県弁護士会
【後援】長野県司法書士会


第1回在宅支援診療所交流会ひらかれる

第1回在宅支援診療所交流会
在宅支援診療所交流会
在宅支援診療所交流会

7月17日(土)午後から18日(日)にかけ、はじめての長野県民医連在宅支援診療所の交流会が行われました。参加は「在宅時医学総合診療料」の届け出をしている6診療所などの職員を中心に21人。職種別では、医師4人、看護職10人、事務職7人でした。
各診療所の現状や取り組みを交流した後、諏訪共立在宅支援診療所の木下真理子所長から「在宅での看取り」、健和会飯田中央診療所の熊谷嘉隆所長から「在宅支援診療所」について報告がありました。
1年近く前から開催が待たれていた交流会ということもあり、質問や意見が活発に飛び交いました。各事業所の取り組み、工夫等を共有する中でおおいに刺激も受け、確信も深まりました。他の在宅系事業所との連携の重要性を再認識でき、「元気になれた」「定期的に開催してほしい」「在宅に関わるヘルパーやリハ職員とも交流したい」という感想も多く、有意義な交流会になりました(夜の交流会もパワー炸裂でした)。
今後、在宅医療・福祉の需要が増える中、後継者の育成も視野に入れながら在宅・介護分野の連携を強め、民医連ならではの在宅への取り組みの必要性を実感した企画でした。
(県連事務局・高山 安彦)


新綱領を読む2

綱領の原点立ち返って考えよう

健康クラブ泉の会事務局長 藤原 宏治

在宅支援診療所交流会

諏訪共立診療所として開設から36年、当時、だれでもがかかれる病院・診療所が欲しい、遅い時間でもかかれる医療機関など、働く人達の要求で作られ、お金を集め、健康友の会に入ってもらいながら診療所が出来ました。
下諏訪町には、三協精機、ヤシカなど1000人以上の職場があり、そこにも友の会が出来ました。その頃から友の会に関わって30年以上なりますが当時、職場の友の会で医療懇談会を開き若い連中に、中性脂肪をテーマに先生から話をして頂いたことを記憶しています。小さな診療所から現在の病院に至るまでの苦しい歴史の積み重ねで、職員や地域の方々の力で大きくなっています。
健康友の会から健康クラブ泉の会へ改称して20年、会員も1300人から7500人へと発展しています。さらに今年は会員8000人が目標です。会を支える役員や担い手が高齢化も進み、担い手づくりが大きな課題になっています。そして地域のみなさんの要求や課題もいっぱいです。
新綱領では民医連で働く8万人職員と340万人の共同組織が一体となって、それぞれの地域で「安心して住み続けられるまちづくり」運動を新たにつくりあげていくことが大切です。
職を失い、生活もできない状態まで追い込まれている人びとや病気や貧困で苦しむ人、1日の食事を2回に切りつめて生活する人、貧困と格差、不平等が広がっています。地域の助け合いもふくめ、共同組織が地域に根ざした活動として、声かけ合い、連帯しながら活動してきたいです。


ちょっといい話

かやの木診療所で手づくり夏まつり

かやの木診療所で手づくり夏まつり

7月29日(木)~8月3日(火)、かやの木診療所デイケアで夏まつりを行いました。今年はデイケア室の飾り付けに力を入れ、利用者さんと一緒に完成させました。
夏まつりの期間、職員は浴衣姿。「飯田りんごん」や「龍峡小唄」など、飯田にちなんだ曲をかけながら盆踊りを踊りました。また、手づくりの魚釣りゲームで得点を競ったり、カラオケ大会で盛り上がったりと、童心にかえり楽しいひとときを過ごしました。


東南西北

東 信

上田わっしょい

汗と笑顔で踊りました!

7月31日(土)に行われた「上田わっしょい」に、東信医療生協からJBを中心に子どもを含め27人が参加しました。今回で2回目になります。昨年は土砂降りの後の祭り開催でしたが、今年は蒸し暑い中、手作りの花輪をつけて華やかに、いっぱいの汗と笑顔で楽しく踊りました。

上伊那

デイケア作品展

力作に足を止めて

上伊那生協病院デイケア利用者さんが作った陶芸や切り絵などの作品を、8月9日(月)~16日(月)にデイケア前で展示しました。1年近くかけて作った大作もあり、連日、家族や職員が足を止めて見入っていました。9月18~20日に長野市で開催される長野県障害者文化芸術祭にも出展する予定です。

諏 訪

お舟祭り

お舟祭りで麦茶サービス

8月1日(日)、毎年恒例のお舟祭りがありました。諏訪共立病院は例年、病院前にテントを張り観光客や氏子のみなさんに麦茶サービスを行っています。今年は院内JBが中心となりサービスを行いました。肝心のお舟が来た時には麦茶が一滴も残っていないくらい大好評でした。

中 信

松本協立病院の院内報創刊

院内報ができました!

上伊那生協病院からノウハウを学び、松本協立病院の院内報が創刊されました。月1回のペースで現在3号まで発行。1職場1事例集会の報告や職場紹介、人事異動など、職員同士の情報共有に役立つと評判です。現在名称募集中!

飯 伊

高校生一日医療職体験

今年も高校生一日医療職体験

8月4日(水)・5日(木)の高校生医療職体験に89人が参加。今夏は以前参加した人に訪問看護を取り入れました。病棟とは違う自宅という生活の場で、自分で体調管理を行う患者さんの姿に、「看護師は支えになる存在でなければいけない」という感想も。受け入れ側も初心を思い出す大切な時間になっています。

長 野

原水禁世界大会壮行会

原水禁世界大会壮行会を開催

7月28日(水)、長野医療生協では原水禁世界大会の壮行会を職員・組合員合わせて50人の参加で行いました。世界大会参加者は、これまで取り組んだ平和活動報告をしながら「松代大本営見学などする中で、平和の大切さを強く感じました。今回も、みんなと一緒に学習してきます」と、元気よく決意表明しました。



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